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【第61号】大川原 明の「アキーラ海外見聞録」9月25日発行!グアムに日米激戦地(戦跡)

大川原 明の「アキーラ海外見聞録」
【第60号】大川原 明の「アキーラ海外見聞録」9月25日発行!グアムに日米激戦地(戦跡) グアムというと日本人にも大人気のビーチリゾート。アメリカの準州として日本から最も近いアメリカ。バブル期以降数多くの日本人が観光で訪れ、最盛期は海外からの観光客の8割方を日本人観光客が占めている程であった。しかし、バブル期あとの長引く経済停滞やコロナ禍、超円安の現在は以前のように日本人観光客は多くはない。円高にふれていけば日本人観光客も再び戻ってくるものと推測している。 そんなビーチリゾートとして名高いグアム。ここが先の大戦下では日米の激戦地であったという事を知っている人は多いと思うが、戦跡地を慰霊する日本人は非常に少ないのが実情である。著者は今までパラオやビルマ、フィリピン、タイ北部、マレーシア、シンガポールなど先の大戦の激戦地を慰霊訪問してきた。 一人の日本人として祖国のために散華された英霊に感謝をし、慰霊のために日本国内、靖国神社や護国神社参拝。海外慰霊もおこなっている。今回は初のグアム。綺麗なビーチを見るのも渡航目的の一つであったが、目的の一つが戦跡地慰霊訪問。今回は六日日滞在。戦跡はグアム島内に散らばっており場所もわかりづらく、今回すべてを訪れる事が出来なかったが来年再訪予定である。 今回はグアム島内にある3つの戦跡を訪れた。一つ目はグアムの中心部タモンから南に位置するアサンビーチ。ここは先の大戦下、グアムの戦いでアメリカ軍が上陸した海岸で日米の激戦地。 昭和19年(1944年)7月21日の上陸前、7月8日からアメリカ軍は沖からの艦砲射撃と空爆。グアム戦の前におこなわれたサイパンの戦いでの日本軍の抗戦を予測したうえで、第三海兵師団が上陸。 2kmほどのアサン海岸には、独立混成第48旅団の第1大隊が守備を担当。アメリカ軍上陸部隊が海岸に接近すると山砲と速射砲で砲撃を加えた。またフォンテヒルに配備されていた第10連隊砲兵大隊も砲撃を開始。

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