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辺 真一メールマガジン
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2023.10.15 Vol.348
[毎月5,15,25日発行+号外あり]
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ベトナム戦争(1964年8月―1975年4月)が始まるまでの韓国は米国の援助も大幅に減り、外貨不足が極めて深刻だった。じり貧状態を脱出する手だてがベトナム参戦による米国からの援助と戦争特需だった。韓国には売るもの、即ち輸出品はなく、あるのは用役(看護師や労働者など非戦闘員と兵隊)だけだった。
北朝鮮の脅威に怯えていた朴正煕(パク・チョンヒ)政権の韓国は米国からの借款供与と韓国軍の戦力増強のためベトナムへの派兵を米国に提案したが、米国は韓国のベトナム派兵が北朝鮮の挑発を誘発し、中ソなど共産国家を不必要に刺激し、朝鮮半島の安全保障に空白が生じる恐れがあるとして当初は躊躇った。しかし、背に腹は代えられないとして、結局は韓国に南ベトナム支援を要請するに至った。
韓国は要請を直ちに受け入れたが、派兵の大義名分は「朝鮮戦争で共産主義勢力と戦った国家としてアジア地位の安保と自由を守護する」というものだった。
韓国は1964年9月に第1陣として医療部隊(130人)とテコンドー教官(10人)を派遣したのを皮切りに建設支援団(鳩部隊)さらには陸軍所属の部隊を続々と送り込み、その数は1965年には2万人を、1966年には4万5千人を越え、1969年には5万人に迫った。
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