「追悼 谷村新司氏」
谷村新司氏の訃報に接しました。ブルースを下地に、シャンソンと演歌を
重ねた独自のスタイルは、多くの人の記憶に残るのだと思います。日本の大
衆音楽に、非常に見える形で「うたの揺れ」という概念を持ち込んだのは、
非常に大きな功績だと思います。
それにしても、大変な苦労人でありながら、心の奥底は自己流のユーモア
で包み隠してしまう人でした。若い時から生と死の問題には立ち向かってい
たこともあり、74という享年は早すぎるものの、不思議な平穏を感じさせ
るのも事実です。
谷村氏の作品ですが、時折、日本という国とその文化の持つ、絶望的な闇
を覗かせることがありました。そのくせ、その闇を隠すような処理がされて
いるのが、プロの仕事でした。また、闇そのものには対峙しないというのが、
美学でもあり、矜持でもあったのだと思います。その点は否定はできないも
のの、勿体なかったという思いは消えません。
そのような中で、『いい日旅立ち』というのは、その闇が隠しても隠して
も滲み出てしまう楽曲だったと思います。この中に出てくる「帰らぬ人」
「待っている人」というのは、どう考えても決して「いい日」に旅立ったの
ではないし、どんなに旅をしても「探す」ことはできない、そして会えない
ことが分かっていても「せめて」旅に出る・・・そのような歌だからです。
もっと言えば、日本の近代における人口移動とは悲劇である、そういう歌
であると思います。闇というのはそういうことです。そんな闇を描き出して
おいて、ご自身は不思議な平穏を感じさせつつ旅立っていったというのは、
やはり大人物であったのでしょう。
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