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「小島嵩弘のパウダールーム」(2023年 10月 18日 第 642号)
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2023.10/18
対バン2本目。池袋FILDE。
池袋。
浅草で生まれて巣鴨で育った。一人暮らしはバンド時代から。
住んだ場所は池袋から地下鉄有楽町線で3つ目の駅、小竹向原。
6畳一間のクーラーのないトイレ共同。今じゃ考えられないトタン板のボロボロアパート、田島荘。
クーラーのない地獄の約7~8年間を田島荘。
この田島荘との間に相当の思い出がある。ここで相当のたうち回った。
青いトタン田島荘。木枠の窓の田島荘。
夏の暑さ、冬の厳しさ、隙間風の辛さ、自宅からここに移り住んでこれらを一手に経験させた田島荘。
サッシの窓ではなかったので風が吹くと、窓がカタカタ揺れて隙間風が部屋をさらった。
実家も古かったけど窓は流石にサッシに変えてたから、風について悩んだことはなかった。
こんなに普段でも風って吹いているんだとか、そんなことも経験した。
クーラーのない夏の暑さは想像できると思うけど、真冬の隙間風の厳しさはあまりわからないと思う。
夜寝る前に暖房器具で部屋を暖めても朝方には隙間風がビュンビュン入ってきて、外との温度差がなくなり、
まるで外で寝ているかのような感覚になる。だから夜は布団にくるまりながらいつもジャンバーを着て寝ていた。
あ、そうそう。
夏ももちろん困る。
暑いのは当然。その暑さを少しでも和らげようと窓を開ける。そこからゴキブリがたくさん入って来る。
あ、今3匹入ったなぁとか、夏はよく寝られなくていつもうとうとして朝になった。
それが小竹向原の田島荘だった。
佐藤克彦くんが廊下を挟んで斜め前の南向きの部屋だった。
オレが北向きの部屋。夏は克彦の部屋のアロエが死んだ。それほど日当たり抜群。
冬はオレが凍えた。まぁどちらの部屋も夏、冬共に酷い目に遭う。笑
トイレは共同で、トイレに行くたびにトイレットペーパーを持って個室にこもる。
備え付けのペーパーがないのが田島荘のルールだった。
この部屋でバンドの解散、ラジオの仕事が増えていく感じ、作曲、作詞の日々、
東芝EMIとの契約へむかう日など、色々な経験をさせてもらった。特にバンドの解散で収入が絶たれた時に、
家賃¥25,000+電気代と水道代(¥2,000)が低料金だったので助けられた。
あ、音楽続けられるって思ったからだ。
その時ばかりは心より田島荘に心から感謝した。結果オーライだったって。
そして大家さんのおばあちゃんも優しかった。
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