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高野孟のTHE JOURNAL Vol.623 2023.10.23
※毎週月曜日発行
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《目次》
【1】《INSIDER No.1229》
明治10年代を一世風靡した若き民権家=植木枝盛の輝き
/「民権思想」を遡る・その7
【2】《CONFAB No.589》
閑中忙話(10月15日~21日)
【3】《FLASH No.537》
角川歴彦KADOKAWA前会長が綴った 前近代的な「人質司
法」が今なお罷り通っている事実/日刊ゲンダイ10月19
日付「永田町の裏を読む」から転載
■■INSIDER No.1229 23/10/23 ■■■■■■■■■■
明治10年代を一世風靡した若き民権家=植木枝盛の輝き
/「民権思想」を遡る・その7
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植木枝盛というのは相当な変わり者だったらしい。家
永三郎編『植木枝盛選集』(岩波文庫、1974年刊)に収
められている若い頃の知人=横山又吉の証言によると、
彼は「子供の時から巨人の風があり、寡黙で容易に人を
近づかせない。往来などで会っても物も言わん。……学
問が好きで、他の同年の者などとは取り合わん。……そ
の頃から目先が早かったから、西洋の本の翻訳ができた
ら次々と何でも読んだ。新刊の翻訳書で植木の読まんも
のはあるまい。……それで西洋好きだというのでまた皆
に嫌われた」。
1874(明治7)年に板垣退助が土佐に戻り「立志社」
を結成して民選議院設立の運動を始めるやそれに加わ
り、翌明治8年、18歳にして上京・遊学して見聞を広め
たが、その最中に発布された新聞紙条例を批判して「猿
人政府(ひとをさるにするせいふ)」と題した一文を郵
便報知新聞に投稿したところこれが同紙に掲載され、ま
さにその新聞紙条例違反で2カ月間投獄された。この経
験が民権運動の若き闘士としての彼の生き方を決定づけ
たのだろう。
●戦後憲法にも繋がる植木案
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