INSTITUTE OF SUCCESS TECHNOLOGY JAPAN 第774 OCT 29 2023発行
“明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるかのように学べ!”
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明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるかのように学べ! マハトマ・ガンジー
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⇒ 「日本は30年ぶりに商業捕鯨を開始」
エジソンが電球を発明して、アメリカの夜に電灯が灯り始めたのは、我が国の明治維新1868年から11年後の1879年以降だ。
ガラス球に燃えにくい窒素などを充填して中に細いフィラメントを入れて電気を通すと電灯になる。
そのフィラメント素材を方々に探し求めて、何度やっても失敗して試行錯誤しているうちに、日本から渡って来ていた扇子に目が行った。
扇子の骨が竹で出来ていて、その繊維をフィラメントに使ったら大成功!
その竹は、京都産であったことは有名だ。
では、それ以前のアメリカ人は、闇の夜はどのように照明していたのだろうか?
エジソンの発明より、26年前、それは、1853年にペリーが黒船で江戸にやって来た年であるが、アメリカ人は太平洋に出て、捕鯨(ほげい)ビジネスに躍起になっていた。
クジラから採れる油は、他の油と違って温度が下がっても固まらないで粘結度が変わらないので、ランプ燃料用として最適で引っ張りだこだった。
産業革命が起きて世界が急発展するようになると、機械油とは鯨油(げいゆ)を差すようになり、石油燃料が世に出て来るまでは、燃料は石炭、潤滑油は鯨油というのが機械文明の象徴であった。
鯨油は大変高価な貴重品だったのだ。
黒船は蒸気動力で外輪をスクリュー代わりに回して前進する蒸気船だが、それだけでは太平洋横断などは無理なので、帆船として風も動力にしていた。
捕鯨船は、アメリカ東海岸ニューイングランドから大西洋に出てクジラを追い、東回りで、アフリカ南端・喜望峰を回り、インド洋でも捕鯨をして、マラッカ海峡を抜けて太平洋に出て東シナ海に至り、フィリピンに到達・・・
米国から日本に来るルートと言えば、世界地図から観ると、日本とアメリカの間に太平洋があるから、そこを横断しての航路だと思いがちだが、Perryの時代になっても、まず大西洋を横断して、アフリカ南端の喜望峰を回り、インド洋を渡って、シンガポールのマラッカ海峡を抜けて、フィリッピンや台湾・中国のある東シナ海へ至る東周りルートだったのだ。
だから黒船は、まず沖縄に寄港してから江戸に向かっている。
余談だが、漢字の「大西洋」と違って「太平洋」には「大⇒太」と、点が付いている。
この点は何を表すか? 大西洋には見当たらない島が、太平洋にはハワイがある。
点は、実は、このハワイを表しているのである・・・ ウソに決まっているが (*^_^*)v~♪
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