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1.昭和36年4月1日からそれぞれの年金制度が手を繋ぎ始めた。
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年金を考える時は昭和36年4月の拠出制(保険料払うタイプの)国民年金が始まった年と、20歳から60歳までのすべての人が国民年金の被保険者になり、65歳になるとすべての人が老齢基礎年金を受給する事になった昭和61年4月が非常に重要な年月日となります。
年金にはいろんな年や生年月日が出てきて訳がわからなくなりますが、この2つの年を基準に考えると混沌とした年金制度もちゃんと意味があるんだなという事がわかったりします。
ちなみに、昭和61年3月31日までを旧法の年金と呼び、昭和61年4月以降を新法と言います。
年金の仕組みがガラッと変わってしまった年が昭和61年4月1日であります。
それまでの旧法は終わり、新しい年金制度がスタートしました。
誰であろうと国民年金の被保険者になってしまいました(学生は平成3年4月から)。
これにより国民年金加入の強制ではなかったサラリーマンや公務員の専業主婦(当時は1000万人ほど)も昭和61年4月からは強制加入となりました。
じゃあそれまでの旧法(昭和61年3月31日)まではどうだったかというと、厚年は厚年、国年は国年、公務員は共済とそれぞれが独立していました。
昭和36年4月1日から国民年金が正式に始まりましたが、この時は厚年や共済に加入していなかった自営業者や農業などの人を中心に加入するのが国民年金でした。
当時の就業者4000万人のうち、1200万人が厚年や共済に加入していましたが、それ以外は何も年金には加入していなかったのでそういう人たちは将来は無年金となってしまうために、国民年金を作って網を張る必要があったのです。
また、国民がみんな年金制度に加入して年金を受給するという目的を達成するためには、各年金制度との期間を通算する必要がありました。
例えば国年(国年のみで最低でも25年以上の加入が必要)の自営業から、厚年や共済(最低でも20年加入が必要)へと制度が変わった時などですね。
例えば国年で15年加入してた人が、サラリーマンの厚年に移ったらそこでさらに20年加入しないと年金出さないよって事になると国年で25年を満たせないし、厚年でも20年満たせなければどちらからも年金が貰えないという事態になる欠陥がありました。
よって、昭和36年4月の国民がみんな年金をもらうようにするという国民年金開始の時に、それぞれの制度の期間を通算して25年あればそれぞれが加入した期間分の年金を出すという事になりました。
例えば国年7年、厚年9年、共済9年であれば合計25年以上になりそれぞれから年金を加入分は出すという事になったんですね。
通算するまでは一つの制度で20年とか25年は満たさなければ年金は出ない仕組みでしたので、昭和36年4月からは国民年金の始まりと共に年金がかなり貰いやすくなった時でもありました。
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2.戦後の時代の変化と共に年金が必要になってきた。
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それにしても、別に年金なんて必要ないでしょって言われる事がありますが(保険料負担が嫌だから?)、昔は多くの場合は長男が家を相続する代わりに高齢の親を扶養するのが普通の時代でした。
ところが、戦後に工業化が進むにつれて子供は都会に出ていってしまい、核家族化が進行していきました。
残された親は老後はどうしたらよいのか…という問題にぶち当たり、世論の強い要望により昭和33年の岸内閣の時の総選挙時(自民党と社会党の2大政党)に国民年金創設が最大の目標となり、戦後最大の投票率ほぼ80%となりました。
子供が親の面倒を見てくれないなら国が年金制度を整備して、老後の資金の面倒を見るしかないからですね。
年金が無いもしくは、制度が縮小したら子供がなんとかして親に仕送るしかありません。
若い人が自分の事だけ考えて親を放っておけるのも、年金があるからとも言えます。
年金が高齢の親に支給されなかったら、ただ盆や年末年始に顔を見せに帰るだけとか電話するだけとはいかないでしょう。
若い世代がみんなで毎月一定の保険料を払うから、親世代の高齢者の人たちの生活が安定すると共に、若い世代の人たちも自分自身の生活を安定させる事ができているわけです。
年金がない状態だと、自分の毎月の給料から例えば10万円を仕送るなんてとてもじゃないけど富裕層でもなければ不可能です。
昔は家族全員で子供も祖父母も農家の手伝いをやっていたので、誰かが一人病気になって働けなくともなんとか対応する事ができました。
しかし、家族による助け合いのシステムが崩れ、資本主義により会社に雇われて賃金というシステムになっていくと働けなくなるタイミング(妊娠出産、養育期、老後、病気など)に対して非常に脆弱になってしまいました。
貧困に陥っていくという欠陥が出てきたわけです。
あと、年金だけでなく介護に関しても家族が自分たち(ほとんどは嫁が介護していた)でやらなければならなかったけれども、家族の力は核家族化でバラバラになり、地域全体で高齢者を介護する必要があるから介護保険が2000年に施行されて、社会的な扶養である保険という形で整備されていきました。
介護保険があるから、介護が必要になった時に家族が介護離職をするという事態を防ぐとか、家族のみでやらなければならないという介護(昔は介護地獄という言葉がよく聞かれた)の大きな負担が軽減されてるわけです。
介護保険がないなら、家族で全てなんとかしてねとなります。
このように時代の変化が戦後の昭和からどんどん進んでいったので、それまで私的にやらなければならなかったものが、社会的なものに置き換わっていったのです。
昔は子供の稼いできた給料で高齢の親や祖父母を扶養していたわけですが、自分たち家族の間で扶養しなくなったのであれば社会的な扶養である年金制度をやるために保険料を負担してもらうしかない。
結局は自分たちの自腹でやるか、保険料を支払って社会的な扶養に任せるかの違いでしかないです。
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