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渡辺勝幸の日本一元気になるメールマガジン
第4805号 令和5年11月10日(金)
発行部数 10,099 部
【囚人の問題を我が問題とする】
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【囚人の問題を我が問題とする】
わたくしは、野山の獄に幽囚されること一年余り、
詳しく獄中のつらさや、制度の悪さを知って、
同囚のものに対し、気の毒の情にたえなかったのでした。
そこでまず『江戸獄の記』を書いてその制度のよいところを収録し、
それを野山の獄にも施行することを希望しました。
また『福堂の策』二条を書いて、囚人に対しどう処置したらよいかについて詳論し、
さらに『野山獄囚名録叙論』『野山獄の記』を書いて、
諸囚人の繋獄年月のひどさを取り上げました。
また彼らそれぞれの伝手を求めて免獄の願いを陳述し、
才能ある人物が空しく獄中に埋没していることを慨歎して、
その赦免の運動をしたものも一名に止まらず、
さらには、書面を出して彼らのために弁論をなすに至りました。
わたくしは日ごろ、伊尹の事業を行うことをわが志としてきました。
すなわち孟子のいう「天下の民」云云、
天下の民衆のうち、名もなきものの一人であっても、
堯帝や舜帝の恩沢をこうむらないものがあったならば、
それは自分がその人をみぞのなかへ推し落としたかのように考えた
ということばは、つまらない一囚奴にすぎないわたくしなどの、
及ぶところではありませんが、
囚人の問題は、わたくしの見聞の及ぶ範囲のことであって、
中でもわたくしの外には、他に彼らのことに論及する人はいませんので、
これをわが一身に担い、たとえその運動のために罪せられることがあっても、
万々悔いることはないのです。
まして世間の人々の、非難のことばなどは、
全く眼中にありません。
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