【 ゴールドマン・サックス証券 (19) 「金融はアメリカ」】
昨日のニュース報道でゴールドマンの日本法人の持田社長が退任されるとの報道がありました。永年にわたるリーダーシップを発揮された持田社長が退任されることで、ひとつの時代の終わりを感じますが、ここまであの激務をこなして頑張って来られたのはひとえに尊敬の念しかありません。
“究極の上司” にあたるのが持田社長と当時の米国本社のハンク・ポールソン会長(のちの第74大米財務長官)の2人だったのですが、どちらもラグビー部の出身、肉体的にも精神的にも、知力の上でも相当にタフで尊敬できるビジネスマンです。
外資系証券の創成期にあたる90年代から00年の業界の内幕を語ります。今と比べたらずっとエキサイティングで、エネルギーに満ち溢れていたと思います。
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そんな伝説的な二人が、わずか25年足らずの間に東京支店の歴史を作ってきた中、1999年から2000年のごく短いITバブルのブームに押されて大量に中途採用された私たちは、先人たちの敷いたレールにただ乗りさせてもらったようなものだった。
1980年代には ”ウォール街の帝王” と呼ばれたソロモン・ブラザーズ・アジア証券のはるか後塵を拝し、まだこれから日本で他の外資系証券との競争を勝ち抜こうとしていたゴールドマンの東京支店は、最初は株式や債券のトレーディング、そして現物株式と先物指数のサヤ取りを狙ったアービトレージ、スワップやオプションやフューチャーといったデリバティブ取引に傾注し、日系証券を出し抜く形で1994年ごろから経常利益で日本の大手4大証券を抜く (当時はまだ山一證券があった。)に至った。
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