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【渡辺勝幸4819号】我が事とし、世の非難を恐れるな

渡辺勝幸の日本一元気になるメールマガジン
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  渡辺勝幸の日本一元気になるメールマガジン   第4819号 令和5年11月24日(金)   発行部数 9,853 部 【我が事とし、世の非難を恐れるな】 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【我が事とし、世の非難を恐れるな】 いったい、大勢の人々を救うための、 草鞋がけの苦労は、 親鸞さえも厭うことなく、 外道を折伏するための身の危険は、 日蓮さえも恐れませんでした。 彼らはいずれも異端邪説を唱える仏徒で、 孔孟の教えを奉ずる人々は問題にもしないものですが、 それでもあのような態度でした。 まして、孔孟の道に志し、伊尹の任を担おうと願うものは、 こせこせとして世の非難や投獄を恐れることは、ないのです。 昔、禹は天下に溺れているものがあれば、 自分がこれを溺らせたように思い、 稷は天下に飢えているものがあれば、 自分がこれを飢えさせたように思ったのです。 思うに堯帝の時代には、天下まだ太平でなく、 洪水が横流して天下にあふれ、民衆は飢えに苦しんでいました。 ですから禹でも、天下の人々が洪水に溺れているのを救おうとして、 自分の身がそのために溺れるかもしれないと思っていたことでしょうし、 稷も、天下の人々の飢えているのを救おうとして、 自分の身がそのために飢えに陥るかもしれないと思っていたことでしょう。 しかるに、禹・稷の両聖人が、 自分の溺れることや飢えることを心配せずに、 天下の人々の溺れることや飢えることを心配したのは、 いずれも聖人の仁の表れであって、 伊尹と、先後の違いこそあれ、その精神を一つにするものであります。

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  • 【仙台発!】政治家であり起業家である渡辺勝幸の日刊メルマガ。9年以上、3,500日以上連続でメルマガを書いています。政治経済の裏事情、起業家、経営者向けのおトク最新情報を、独自の視点と素早く貴重な情報で、意識の高い経営者、ビジネスパーソンに毎日お届け。1通20円ですが、得られる情報はメディアにないものとなります。失業、起業、震災、選挙落選、そして当選とここ数年波乱万丈な人生を送っている筆者が、東北の真の復興のための活動報告も。著者は宮城県議会議員(仙台市若林区)44歳。起業集団株式会社つくる仙台経営(起業支援、創業スクール事業)、東北大学大学院講師。
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