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日本の「一億総中流」を支えた中間文化は、こうして生まれてきた 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.785

佐々木俊尚の未来地図レポート
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 佐々木俊尚の未来地図レポート     2023.12.10 Vol.785 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ http://www.pressa.jp/ 【今週のコンテンツ】 特集 日本の「一億総中流」を支えた中間文化は、こうして生まれてきた 〜〜〜現代日本の「横の旅行」と「縦の旅行」(2) 未来地図レビュー 佐々木俊尚からひとこと ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■特集 日本の「一億総中流」を支えた中間文化は、こうして生まれてきた 〜〜〜現代日本の「横の旅行」と「縦の旅行」(2) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ いま振り返ってみると、1945年からはじまり1980年代には完成した日本の「戦後社会」は、平等というものが強く期待される時代でした。 戦前まで文化的に断絶していた都市と農村、知的階級と労働者階級といった強く大きな障壁は、戦後の明るい青空の下で急速に追い払われていきます。そこにアメリカナイズされた、全国で共有される文化も急速に日本社会に広がっていきました。それには「教養」も含まれます。 終戦から5年間は、過激な政治の季節でした。「中央公論」「改造」が復刊し、「世界」「人間」「展望」が創刊され、総合雑誌が隆盛を誇っていました。戦時中の価値体系が崩壊したあとの空白をどう埋めるのか。日本をどう再建するのか。そうした大きな物語の再構築が日常的に国民の間で議論され、それが高尚な政治論を一般レベルにまで普及させる原動力となっていたのです。 『「働く青年」と教養の戦後史』(福間良明、筑摩選書、2017年)という書籍によると、1950年代には「人生雑誌」と呼ばれる雑誌群が、働く若者たちに強く支持されていました。高校や大学に進学したいけれども、家庭の経済的事情などで諦めるしかなく就職し、働いていた若者たち。彼らの中には知や教養への強い欲求があり、その欲求を満たしてくれるメディアだったのです。著名な「葦」という人生雑誌は、創刊号の巻頭言でこう書いています(同書より孫引き)。 「誰も知らないこんな所にも、こんなにも真剣に生き抜かんとして居る人が居るんだ。『葦』はそんな人たちの作った雑誌だ。しかもそれが特殊な一部の才能家ではなく、あくまで普通の、ありふれた、我々と同じような貧しい才能と働かなくては食えない境遇の人たちばかりによって作られた雑誌なんだ。文学者になろうとするのでもない。ましてや地位や名誉を得ようとするのでもない。ただ我々は良き生を生き抜かんとしているのだ」 人生雑誌は単なるメディアではなく、ある種の共同体でした。同書はこう書いています。「書籍は書き手が記したものを読者が一方的に享受するが、雑誌は異なる。読者投稿欄など、読者が感想や思いを公開する場が設けられ、、人生雑誌の場合は、さらに読者による長文の体験記・手記・創作も多く掲載され、別の読者によるそれへの批評が載ることも。ここには読者相互、編集部も交えたコミュニケーションが成立していた。しかも定期刊行物なので、持続性もあった」 彼らはエリートの知識人層にただ憧れただけでなく、知識人に対して反感も持っていました。一部のエリートだけが教養を独占し、それによって社会を支配していることを彼らは批判し、知を解放して大衆にも普及させることが必要だと考えたのです。だから彼らは単に教養を手に入れるというだけでなく、労働者の知的レベルの向上と、自分たちの人間としての自覚を実現すべきだと考えました。 これはまさにアメリカの政治学者リチャード・ホフスタッターが指摘した「反知性主義」そのものです。反知性主義は「知性の無い人たち」という罵倒用語に誤用されていることが多いのですが、本来の意味は「知識人と大衆の間に断絶があり、知識人と権力が結びついていることに対する嫌悪や反感」というようなものです。より的確に表現するとすれば、「反知識人主義」とした方がいいかもしれません。 日本の人生雑誌における反知性主義も徹底していました。雑誌「葦」を創刊した中心人物で、後に「あゝ野麦峠 - ある製糸工女哀史」という大ベストセラーをものにすることになる山本茂実という人がいます。彼は1950年に公開され大ヒットした映画「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」について、こう書いているそうです。 「将校を国定忠治映画に出てくる悪代官のような極悪非道な悪党にし、庶民兵を悪賢い泥棒追い剥ぎの類に仕立て、学徒兵だけを善良な美しい心の人間かあるいはヒューマニストの英雄にまつり上げた映画」「独りよがりもここまで徹底すると喜劇にもならない」 エリート大学生に対する猛烈な反発がうかがえます。山本茂実自身が松本の農家の出身で、戦場に出た後に故郷に戻ってずっと農業を営んでいた人でした。30歳を過ぎてからようやく上京して早稲田大学に入り、文筆の道を歩むようになったという遅咲きだったのです。 しかし人生雑誌は、1960年代になると人気を失っていきます。原因の第一は、就職組の減少。1950年代なかばには5割だった高校進学率は、1961年には62%、63年に67%、65年には7割を突破しました。高度成長で社会が豊かになり、経済的理由で進学できない層は加速度的に減っていったのです。 第二の理由は、1960年代は60年安保から70年安保へとつながる「政治の季節」の時代で、過激なイデオロギーが求められるようになって行ったこと。それに対して「人生雑誌はいかにも微温的で、政治的な争点を避けているように見えた」と同書は記しています。政治に距離を置こうとした人生雑誌について、こうも書いています。

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