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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第532号 2023.10.27配信分
●昔の二子橋では大井町線(単線)とクルマが一緒に走ってた
『窓際のトットちゃん』を観てきた。言うまでもなくマルチな才能
の持主黒柳徹子さんの大ベストセラーで、世界中で翻訳されてその
数800万部を超える。いつ頃だったか忘れたけれど私も文庫本(講
談社刊)を買って読んでいた。今から42年前の著作だが、黒柳さん
はこれまで頑なに映画化を拒んでいたと聞く。(実は、この稿を書
き始めたのは去年の暮れでした。体調不良につき、途中まで書いて
いたのを再開したのが今日年明けの1/4です。まだ諦めてはいま
せん。引き続き宜しくお願いします。)
時は戦時下で、必然的に軍国主義の世の中が舞台となる。物語は
戦前から始まり戦中、戦後を通じて描かれているわけだが、映画は
基本的に記録性のあるメディアでもある。黒柳さんが当時の記憶を
再現することに躊躇いを覚えた気持ちは分かるような気がする。
多分、実写だったら苦労が絶えなかったに違いない。時代考証を
考えると既に80年近くの歳月が流れており、街の作りから社会の在
り方までなにもかもが大きく変わっている。最近ではデジタル技術
の進歩を活かしてCG(コンピュータグラフィックス)を駆使すれ
ば一応それらしく様になる。しかし、セットで往時の空気感を再現
するのは困難だし、風俗全般も似て非なるものになりがちだ。
アニメーションという日本が誇る映像芸術に答を求めたのは正解
というべきだろう。セル画を手描きする苦労は並大抵ではなかろう
が、少なくとも取材に基づく表現に嘘は見られない。監督にしても
アニメーターにしても現代を生きる若い世代中心なので、感覚的に
は現代的な清潔感に満ちている。実際はそんなに洗練されてはおら
ず、庶民の暮らしぶりは貧しく粗末だったよ、と言えなくもない。
私が育った1950年代を振り返っても違和感が残ったのは事実だが、
丁寧に史実を辿ろうとした意欲は買える。昭和27年生まれの私が観
ても、違和感が残らなかったことは評価できると思う。そして何よ
りも上映時間の間ずっと涙腺が緩みっぱなしだったと正直に報告し
ておきたい。
自由が丘に実在したトモエ学園を中心に物語は描かれている。品
川~目黒~世田谷区辺りを走る大井町線沿線が舞台。自由が丘駅の
改札口を始め今とは全然別物の田園風景だが、沿線の牧歌的風景は
私の世代なら容易に想像がつくものだ。
大井町線は多摩川を挟んだ川向う(溝ノ口)が終点。そこは私が
育った千歳新町(最寄りは南武線隣駅の武蔵新城)の”守備範囲”
だった。田園都市線が未通だった小学時分の記憶をたどると、二子
玉川から渋谷までは玉電(玉川電鉄)がトコトコ走っていた。大井
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