2024年 新年第1号 【長尾和宏の痛くない死に方】
長尾和宏です。本年もよろしくお願い申し上げます。
新たな年の幕開けは、悲しいニュースで色を失いました。
元日に能登で起きた震災は、死者百人を超えた。今も尚、安否不明な方がいる。
瓦礫の下で助けを求めている人がいる。家族の死を目の当たりにし、途方に暮れている
人がいる。岸田総理はそれなのに、まるで感情のこもらない記者会見、記者会見を早々に
終わらせてテレビ出演し、改憲の決意を語り、新年会を梯子する。
ああ、この人には心がない。去年は増税メガネという言葉が流行したが、今年はもはや
サイコパスメガネとでも言いたい気分だ。
精神医学上は様々あるのだろうが僕にとってサイコパスの定義とは、たった一言。
「他人の心がわからない人間」。それ以上でもそれ以下でもない。
そんな人間が聴く耳を持つだって?
聴いたところで右耳から左耳に寂しく抜けるだけである。
この人はきっと、どれほどコロナワクチンで亡くなった人のニュースを聴いても、
後遺症で苦しむ人や大切な人を亡くした家族の叫びを聴いても、馬耳東風であっただろう。
情けない。こんな人間に国を預けている国民のひとりとして、ほんとうに情けなく、悲しい。
年が明けてから僕はずっと、「本当の愛国とは?」ということをつらつらと考えている。
昨今、愛国と言えばすぐに思い浮かべるのは、たとえば百田尚樹氏とか有本香氏とか、
杉田水脈氏などももそうであろう、自称「ナショナリスト」の人たちの顔ではないか。
だけど、誤解を恐れずに言えば、彼らの愛国とはつまり、「排除」の精神に立脚している
ように感じる。具体的に言えば、外国人(韓国人、朝鮮人、中国人)などを排除する精神
つまりは民族憎悪。生産性がない、という理由からの同性愛者への嫌悪。今日もSNSを
覗けば、匿名の誰かが「あいつは日本人ではない」などという、根拠不明の有名人の出自を
呟き、匿名のフォロワーたちから多くの「いいね」を押されている。
彼らにとっての一番大切な愛国の精神とは、目の前にいる人間が、純粋な日本人であり、
さらには異性愛者かどうか、なのかもしれない。
ナチスドイツが純粋がなぜあれだけの虐殺を行ったか? 純潔ドイツ人以外はこの国いる
ことはけしからんという精神を愛国だと考えた結果ではなかったのか? ナチスドイツは
ユダヤ人の血を絶やすため、ゲットーに追い込んだユダヤ人の生殖器を摘出していた。
悪魔の仕業である。
それが本当に、祖国を愛するということなのかな?
自分と違う血を排除すべきという願望は、自分と違う考えの者は排除しなければならぬ、
という思想と地続きである。それが今回、ワクチン問題であきらかになった。
ワクチンを打たない者は非国民である……彼らは、「反ワク」と呼んで排除しようとした。
いや、それは今も現在進行形である。
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