能登の大震災が起こり、避難者の気の毒な状況が報じ続けられている。
中学生が集団避難するらしいが、私は大人も集団避難という発想があっていいと思う。
東日本大震災の際に、原発事故があったため、かなりの遠方(関東地方など)に避難というか、移住のようになった人がたくさん出た。
ただ、それがあまり計画的なものでなかったため、とくに高齢者は人とのつながりを失い、うつ病や自殺という結果になる人も少なくなかったようだ。
ただ、いっぽうで被災地で不自由な暮らしを何か月も続けていることが、心や身体にいいとも思えない。とくに高齢者はそうだろう。
倒壊したり、潰れてしまった家を見ているのも、メンタルに悪いことのほうが多いだろう。
私は、ある一定以上の大震災のときには、広域集団避難が意外にいい方法のように思っている。
だから、いろいろな市区町村がペアの市区町村を決めておいて、そこが被災したら、そのペアの街に集団避難する。
その街は、まったく元の市民生活も営めるし、教育も受けられるし、物資も足りている。集団で避難すれば、人間関係も保たれるから、高齢者の心のダメージも多少は緩和できる。
そして、人があまりいない状態で、復旧作業を行えば、地元の修復も多少なりとスピード感が出るだろう。
そういう意味で、大きな自然災害が起こった時に、ある程度、復旧、復興するまで、集団でペアの街に移住するのはそう悪いことではないと思っている。
さて、もちろん、とくに歳を取るほど、引っ越し先で不適応を起こしメンタルの調子を崩す人もいることが予想される。
ただ、もちろん被災地にいるままでもPTSDを起こす人もいるだろう。
自然災害が増え、闇バイトなどの凶悪犯罪が増え、性犯罪だって増えている可能性があるのに警察が不真面目でレイプでも3割しか起訴しない国なので、PTSDはいろいろな形で発症するだろうし、それが癒えないという問題もある。
その上、日本の医学教育が悪すぎるので、PTSDなどトラウマを診れる医者が少なすぎる。薬で治せる病気しか、精神科医が診れないのだ。
全国に82も大学医学部があるのに、精神科の主任教授が(教授になってから精神療法を勉強したと称する人間はいるが)私のようにプロパーで精神療法をやってきた人間である大学は一つもない。
昔、東北大学医学部に佐藤光源という教授がいた。
1986年から2001年まで15年間にわたって東北大学の精神科の教授をやっていたが、3年に一度しか博士論文で落ちる人がいない東北大学で、精神療法の論文に一つも博士号を出さないほど、徹底した精神療法の排斥者だった。(私もその犠牲者の一人だ)
そして、東北地方の精神科の教授戦にもずいぶん介入したらしく、東北地方にはまともに精神療法を教えられる人がいない惨状になった。
そこに東日本大震災が起きた。
心のケアができる精神科医があまりに少ないので、私は、実は今でも心のケアのボランティアを月一回続けている。
阪神淡路大震災のときには、週に一回、心のケアのボランティアを続けた。
PTSDというのは、トラウマを受けてから1か月たたないとつかない診断名だが、心の不調が本格化するのも、震災直後よりむしろ1~2か月経ってからのことのほうが多い。
阪神淡路大震災の心のケアのボランティアで、多少はマスコミの人と仲良くなって、1か月ほどすると、そろそろ心のケアの問題を取り上げようという話にもなっていた。
ところが、3月に地下鉄サリン事件が起こり、東京のマスコミは、阪神淡路の問題をまったく取り上げなくなってしまった。
そこでものすごく悔しい思いをしたことがある。
皮肉なことに神戸の震災と、地下鉄サリン事件によって、一気にPTSDという言葉は人に知られるようになったが、日本の医学界は、その後、心のケアをどんどんないがしろにしていった。
当時の神戸大学の精神科の教授は中井久夫先生で、サリバンという心の治療者の研究やトラウマの臨床や研究で知られた素晴らしい人だった。
ところが、その後、30年近くにわたって、精神科の教授戦では、心のケアの専門家、精神療法家は負け続けている。
そして、その後、日本の医学部の教授たちは、どんどん妄想的になり、たった30分の入試面接で、受験生が医者に向くかどうかわかると思いあがるようになっていった。今、入試面接をやらない大学はない。
多少、まともに見える人間でも、私が医学部の教授というだけで、軽蔑するのは、精神科の教授戦で、心のケアを専門とする人間を落とし続けたり、入試面接で人間がわかると思いあがっていたり、点数が足りていても面接で落とされる受験生の心の傷を想像できない人間だと思うからだ。
この記事は約
NaN 分で読めます(
NaN 文字 / 画像
NaN
枚)