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渡辺勝幸の日本一元気になるメールマガジン
第4875号 令和6年1月19日(金)発行
発行部数 9,702 部
【至仁が至不仁を伐ち、全軍敵意喪失】
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【至仁が至不仁を伐ち、全軍敵意喪失】
朱子の註に、「『書』の本意は」云云、
『書経』の本意は、商(殷に同じ)人同士が殺しあったことをいったもので、
武王が商人を殺したことをいったものではなく、
孟子が「尽く書を信ぜば」ということばを仮設したのは、
後世の人が疑惑を持ったり、
また不仁の心を大きくしたりすることを心配したのみである、
とあります。
わが師、佐久間象山は、江戸の獄に囚えられていた時、
『孟子』を読んで、非常にこれに通じておられたのですが、
本章においては、この朱子の註を信じないで、
別に自説を一篇の論文に記されました。
わたくしは、隣りの獄舎にいたため、それを借読しましたが、
今その全文をここに挙げることはできないけれども、
その大意を記すと次のごとくでありました。
『書経』の本意は、もちろん商人同士が殺しあったことをいったもので、
『孟子』の意味も同じであります。
思うに同篇にはこの語の直前に「前徒戈を倒にす」、
殷の前軍が戈を倒にし、敵に向かわないでかえって後方の味方に攻めかかった、
ということばがあるので、前軍のみは武王の勢いにたじろぎましたが、
後軍は踏み留まったことが知られています。
至仁なる武王が、至不仁の紂を伐ったのであるからは、
次章に見える「厥の角を崩すが若く稽首す」、
角が崩れるように、商軍はこぞって平伏した、
という記述こそ、当時の真実を伝えるものでしょう。
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