ここで「難病映画」を持ち出したのは、いっときの邦画における同ジャン
ルのブームよりずっと以前に、世界的な「難病ティアジャーカー」が大い
に盛り上がった瞬間が1970年代にあったからです。それが『ある愛の
詩』(1970年)に端を発する主に白血病をモチーフにした「難病ティアジ
ャーカー」の(実は一瞬の)ブームで、『メリーゴーランド』(1974年・
のちに『ハイティーン襲撃・恐怖の女子陸上競技部暴行事件』を撮るライ
モンド・デル・バルツォ監督)、『ラストコンサート』(1976年・『ス
タークラッシュ』のルイジ・コッツィ監督・主題曲も大ヒットしました)、
などが次々と公開されました。『ある愛の詩』には続編『続・ある愛の
詩』(1978年)というのもあって、すわ主人公(ライアン・オニール)
の新しい恋人も白血病だったことが発覚するのでは! それはいくらなん
でもあんまりじゃないか! と思ったら全然そんなことがなかったので、
えー何が言いたいかというと『ある愛の詩』もやっぱり「恋愛映画」であ
って、白血病と死は必須というわけでもなかったことがパート2で分かっ
たということです。『続・猿の惑星』に猿が出てこなかったら誰しも「カ
ネ返せ!」となると思いますが、『続・ある愛の詩』で誰も白血病になら
なくても、それは(当たり前ですが)問題にならないということです(
『続・ある愛の詩』はそれ以前に内容がスカスカなので評価は低いです)。
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