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「医学と哲学のはざまの精気:ドメニコ・ベルタッキの『精気について』(1584年)」(後編)

BHのココロ
  • 2024/02/02
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今回は前回にひきつづき、昨年12月に中世哲学研究の聖地であるベルギーのルーヴァン大学で開催れた国際会議「スピリット:古代から初期近代までの物体性と非物体性の境界を地図化する」で招待発表した原稿を邦訳した後半をお届けします。 3-2. 霊魂の台座あるいは乗物  精気と霊魂を明確に区別したあと、ベルタッキは精気が霊魂の「台座」(sedes)なのかという問題をあつかう。そのとき彼はフィチーノに眼を向ける:  「フィチーノが『プラトン神学』第18巻第4章でいうように、プロティノスとほかのアカデメイア派のほかに、マギたちの最古参の首領ゾロアスターは、つぎのような見解をもっており、広くいわれるように、のちにプラトンに継承される。つまり、この太古のマグスは精気を霊魂の「乗物」、あるいは「台座」と呼び、アイテールから受けとった小さな体、不滅で丸いかたちをしたものだという。マギたちは、それが人間の身体に入ると人間のかたちをとり、[人間の身体から]脱けでると最初の状態にもどるという。」  つづけてベルタッキは、この「身体」はプラトンが神々や霊魂の「乗物」と『パイドロス』で、「車」と『ティマイオス』で呼んだものであると主張する。彼によれば、プラトンはもっとも純粋な「身体」を星辰の霊魂に、それよりも純度のさがるものをダイモンに、そしてさらに純度の低いものを人間霊魂に与えたという。 さらに多くのアカデメイア派(プラトン派)が、この種の精妙な「身体」で精神が包みこまれていると考えていたと、ベルタッキはつけ加える。彼にとって、これらの古代人たちは、人間の理性的な霊魂にアイテール的な衣を、非理性的な霊魂に空気的な衣を、そして植物的な霊魂に地上的な衣を与えていたというのだ。

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