真面目な話としてはですね。
コロナワクチンが、「仮に良いものであったとしても」、
私は最初から反対姿勢だったことは変わらないと思います。
「悪いものだからダメ」
なのではなく、
「何かを強制(同調圧力を含めて)する事態は全部ダメ」
だという感じでしょうか。
ワクチンの前には、マスクがありました。
ロックダウンや準ロックダウンがありました。
公共施設ではほぼ義務化された消毒もありました。
娯楽施設などの閉鎖や、ライブなどの禁止がありました。
長距離移動の事実上の禁止がありました。
これらのことについて、日本の場合、建前上は、
「すべて強制でもなければ、義務でもない」
ということになっていました。
しかし、誰の目から見ても、これらは強制であり義務化でした。
その延長線上に「ワクチンが登場した」のです。
そんなもの素直に受け入れられるわけがない。
それがいいものであろうと何であろうと、拒絶するしかない。
こういうのが、私のコロナ禍と呼ばれている時代の考え方でした。
すべて拒絶する。
マスク、消毒、ワクチンすべてを拒否するというのは、
自由の原理からは当然の帰結であり、そして、私自身は、
「みんなもそうするだろうな」
と思っていたのです。
しかし、それは違いました。
日本のマスク着用率を見ればわかります。
日本のワクチン接種率を見てもわかります。
多くの日本人が、「これは自由を剥奪している凶悪な行為だ」
とは思っていなかったことに気づいたのでした。
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