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辺 真一メールマガジン
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2024.02.15 Vol.360
[毎月5,15,25日発行+号外あり]
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女子サッカーパリ五輪最終予選第1戦の日本と北朝鮮の試合は今月24日に平壌で開催予定だったが、北朝鮮から何の反応もない。アジア連盟(AFC)が北朝鮮に対し中立地開催の提案を通達したが、それでもまだ開催地が決まらない。第3国でやる方向で調整されているが、
北朝鮮の国際規範、ルール、マナー違反は今に始まったことではない。これまでもその種のトラブルは多々あった。北朝鮮の「歴代トラブル」を列挙すれば、以下の通りだ。
▲1964年10月 東京五輪をボイコット
国際オリンピック委員会(IOC)が事前に制裁を警告していた新興国大会に出場したため陸上女子中距離の有力な金メダル候補だった辛金丹(シン・グムタン)選手の出場が認めらなかったことに北朝鮮が激怒し、選手団が日本に入国していたにもかかわらず不参加を決め、開会前に引き揚げてしまった。
▲1972年8月 ミュンヘン五輪で五輪史上初の金メダリストが問題発言
最後の一発で米国の選手を逆転し、北朝鮮に史上初の金メダルをもたらしたライフル射撃の李浩俊(リ・ホジュン)選手が外国の記者から 金メダルを取った心境を聞かれた際に「米帝国主義の心臓を打ち抜くつもりで撃った」と発言し、物議をかもし、金メダルを剥奪されそうになった。
▲1982年11月 ニューデリーのアジア大会で男子サッカーに制裁処分
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