第195回 「母という呪縛 娘という牢獄」 その2 (2024年1月30日~)
妙子はあかりをちょくちょくディズニーランドに連れて行きました。
事前に緻密な計画を立て、あかりが
「トイレに行きたい。」
と言うと、
「どうして今なの?! 次のアトラクションに間に合わないじゃない!」
と激怒しました。
いろいろな物も買ってもらいましたが、あかり自身はちっとも心が弾まなかったと告白しています。
「止まり木のような」父と出かけるときは行先と大まかな遊びの予定は決まっていましたが、琵琶湖で泳いだり、広いところでバドミントンをするなどお金のかからない遊びで、こちらは楽しかったそうです。
自分らしくいられるかいられないかの違いなのでしょう。
妙子の母、タカコ(あかりの祖母)は幼い妙子を叔母夫婦に預けて、アメリカ人の再婚相手のところに一人で行きました。
子どもの幸福より自分の幸福を優先したことになり、妙子は愛情欠乏症に陥ります。
小さい子どもにとって母親はかけがえのない存在です。
その母親に捨てられたのですから、心が病むのは仕方のないことかもしれません。
タカコは妙子にまるで愛情を感じていなかったわけではなく、まめに経済援助をしていましたので、子どもの優先順位が2位だったのでしょう。
(再婚相手が2位、妙子は3位だったのかもしれません。)
この再婚相手もいい人だったようで、子どもの頃の妙子が一人でアメリカに遊びに行ったときは大歓迎してくれました。
タカコが
「娘を引き取りたい。」
と希望すれば反対はしなかった気がします。
タカコが
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