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ビジネス知識源プレミアム(水曜刊:660円/月:税込)Vol.1410
<Vol.1410号:正刊:追悼:小澤征爾>
2024年2月21日:小澤征爾の音楽、特別号
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著者:システムズリサーチ:吉田繁治
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小澤征爾氏が亡くなりました。最近、大切な人が亡くなることが多い。時代の転換か。約1週間、YoutubeとTIDAL(音楽ストリーミング)で小澤の指揮を聞き、楽譜の解釈を身振りの言語で伝える練習風景をたくさん見ました。
あなたの、これからの人生をクラシック音楽で豊かにするために書きます。クラシック音楽を知らないことは、比較は変ですが、人生にとって株の損より大きい価値の損という感じもしてきたのです。クラシック愛好を増やすことは、小澤の情熱的な望みでもあったのです。
当方は高校生のとき、FM放送で目覚めた。その後、レコード、CD、今はTIDAL。本稿はテーマの性格から有料版の正刊を無料版としても送ります。
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私は小澤の熱心な聞き手ではなかった。近年はバッハ、ショパン、シューベルト、ラフマニノフのピアノ曲や協奏曲に偏っていた。演奏家で優劣の順位をつけることはできない。この1年、聞く回数では、1)エレーヌ・グリモー、2)グレン・グールド、3)リヒテル、4)グレン・グールドの知性を情熱的に、情緒的にした感じを受けるイヴォ・ポゴレリッチ、5)鋭利なサムソン・フランソワ、6)大家然のホロビッツ、あとは様々、10人くらいの演奏家か。
1年くらいで回転するのか、変化する。
否定と肯定の論争を巻き起こし、日本では余り聞かれないポゴレリッチは、ショパンコンクール(ピアニストの登龍門の最高峰)で選外になり、投票結果に憤慨したアルゲリッチが審査員を辞任したという。グールドのように「型(=演奏の慣習)破り」であり大家になっても異端を残していたアルゲリッチの気風にぴったりだったのか。小澤もアルゲリッチに親しみを感じている。ポゴレリッチはリヒテルも高く評価した。
弦楽曲ではヴァイオリンやチェロ。そしてジャズ、ジャズ・ボーカル、バルバラ、ミレーユ・マチウ、ララ・ファビアンのシャンソン、カナダのダイアナ・クラールのポピュラーなど・・・多種・多数でいちいち挙げれば1ページか。音響装置をいじると好きな音楽の傾向が変わる。音楽が装置に合うか、合わないかは、確かにある。これもまた亡くなった八代亜紀は、この装置で聞くと巫女のように鬼気迫る姿が現れる。
20年くらい前までよく聞いていたべートーヴェン、モーツアルトの交響曲、協奏曲、ピアノ・ソナタは、リヒテルやグレン・グールドの演奏であっても聴く時間が短くなった。なぜか分からない。バッハに偏ったからか。ベートーヴェンは、フォルテシモがどこトーヴェン抜ける悪魔的な指揮のフルトヴェングラーで聴くことが多い。
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小澤征爾は、何を成し遂げたのか。まず、西洋音楽の伝統がない日本での、「近代化」での到達と超越、音楽でしか伝わらないコミュニケーションの重視、そして何より情熱。西洋音楽の日本での近代化を超え、名指揮者の楽譜解釈と指導を超えたと思える。
中学のころバッハの大家豊増昇に習い、ピアニストを志していた。その前は、音痴だったという母の「さくら」から賛美歌を習い、自分も歌って、指揮をしていた。合唱は学校の裏で何年も続いた。豊増昇が家庭教師だったことが普通ではない。日本のピアノの第一人者です。
母のさくらは、野の小さな花を見つけ、立ち止まって「美しいね」と摘んで生ける感性の豊かな人だった。「花ってきれいなのか」と母から学んだという。小澤征爾という個性では、幼少の記憶が現在と関連付けられる。人間には皆、個性がある。普通であろうとすることが却って個性を作る。
モノの形のない形而上学的な「美」というものの定義と説明は、難しい。哲学科に美学科があるくらいだから、難しい。しかし、具体物の美しい花なら、誰にもわかる。ピアノの演奏は難しい。美しいピアノ演奏ならだれにもわかる。小林秀雄は言った。花の美はない、美しい花がある。美を切りはなせば、抽象(モノの形を消すこと)の形而上学になる。
小説は、状況のなかでの人の行動を表現する。絵画は、自然やモノや人を表現する。音楽が表現するものは何か。詩歌的な情緒でしょうか。多くの人がカラオケで歌うのはなぜか? 自分の感じを仲間に表現するのが人の自然だからか。人間の社会では、言語の発生とともに音楽があったように思える。
父の改作は歯科医だった。満州から日本に帰ると「歯医者のやりかたを忘れた」と言って、ミシンの販売の仕事をした。一家は貧しく母が裁縫の内職をしてピアノの月謝を払っていた。戦後は食べるものがない時代だった。皆が貧しかった。(注)ミシンで失敗して、あとで歯科医を再開し、生活は豊かになったという。
父は大切していたカメラ(当時は高額)を売って知人からピアノを買った。小田原の自宅まで100Kmの道のりを、兄たちとピアノを載せたリヤカーを引き家に運んだ。崖から落ちそうになった。最後は父が加わった。200Kgのピアノを縁側から畳にのせて弾いたとき、「わあ、きれいな音」。きれいと感じることの、誰よりも強い感激が小澤の音楽の原点だった。行動に結びつく、感動と感激が個人の未来を作る。
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