田村耕太郎の「シンガポール発 アジアを知れば未来が開ける!」Vol.460
同じ時期にYale大学でフェローやっていました~「死して不朽の見込あればいつでも死ぬべし。生きて大業の見込あらばいつもでも生くべし」
2010年、私は当時のProvostの故・フランシス・ローゼンブルース教授と恩師の浜田宏一教授の招きで、フェローにならせていただいていました。ナワリヌイ氏はYaleのワールドフェロー。これは、世界にインパクトを産み出す人材を育成支援するために、Yaleが生み出した唯一無二のプログラムです。深刻な社会課題を抱えた国や地域から次世代リーダーが選抜され、半年くらいYaleのキャンパスで共同生活をしながら大学が誇る教員や研究者とインパクトを増大させて産むために研究活動するものでした。
このプログラムは私が国会議員に初当選した2002年に始まりました。当時のリチャード・レビン総長から「長い目で見たら日本の国益になるし、他の国は現職議員も来るよ。田村さんも推薦するから来てよ」と第一期生として誘われました。ただ、現職議員で半年も国会を離れるのは現実的ではなく、国会や党や派閥と相談しましたが、当たり前にダメだということになり断念。
永田町を去った2010年に浜田宏一教授が再び推薦してくれましたが、応募時点でもう募集は終わっており、ナワリヌイ氏の同期とはなりませんでした。私は通常のフェローで大学に招へいいただきました。ということで彼とは一度も会えませんでしたが、キャンパスではロシアから気骨ある人物が来ていると話題になっていました。
このワールドフェロープログラムは素晴らしく、これから世界を舞台にインパクトを起こしたい若い人におススメします。筋金入りの人物が多く刺激的です。ナワリヌイ氏と同期の2010年組ではアナ・パウラさんが2019年4月、世界人権基金の任務でグアテマラに赴任中に悲劇的に事故で亡くなっています。
それくらい危険な場所で多くの人のために命を懸ける連中ばかりが集っています。このプログラムに来ているフェローたちが尊い命をかけて深刻な社会課題に立ち向かっている様子は、「死して不朽の見込あればいつでも死ぬべし。生きて大業の見込あらばいつもでも生くべし」という吉田松陰の言葉を想起させます。
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