林田直樹の「よく聴く、よく観る、よく読む」2024年2月29日 Vol.434より
【音楽随想】
●シューマンとクレー
シューマンのピアノ四重奏曲とピアノ五重奏曲をカップリングしたハルモニアムンディの新譜を繰り返し聴いている。アレクサンドル・メルニコフが1851年製プレイエルのフォルテピアノを弾き、イザベル・ファウストのヴァイオリン、アントワン・タメスティのヴィオラ、ジャン=ギアン・ケラスのチェロら豪華メンバーと一緒に演奏したものだ。
https://amzn.to/3V2nEip
これをサブスクで聴いてもそれなりに感銘を受けただろうが、紙ジャケットに美しく印刷されているパウル・クレーの絵とシューマンの響きがあまりにも良く合うので、すっかりこの組み合わせに魅せられている。
このクレーの「家、外と内」の絵を眺めていると、その暖かく優しい色彩がロベルトとクララの結婚してまもない1842年の家庭生活のなかで生まれた室内楽の色彩そのもののように思えてくる。
※クレー「家、外と内」1930年
https://www.meisterdrucke.fr/fine-art-prints/Paul-Klee/1452580/Maison%2C-ext%C3%A9rieur-et-int%C3%A9rieur.html
CD紙ジャケットの印刷はもっと鮮明な色彩で、暖色系には深い味わいがある。
だがこの絵の家はよく見ると、少しいびつで、窓がないようにも見える。そこに閉塞感と狂気の種のようなものが漂っているようにも感じられる。内側から柔らかい、かけがえのない光を発している。外は暁、それとも夕方の時間帯だろうか?
シューマンの音楽はいつも、胸にあふれかえらんばかりの気持ちでいっぱいだ。言葉よりもはるかに多くのことを言いたいのに、言えなくて、その思いを花束のような音楽に託しながら、目を輝かせて抱擁してくる善意の人のようだ。
バリトン歌手のマティアス・ゲルネは、シューマンの愛には一点の曇りもない絶対性があるからこそ、それは狂気に陥る危険性があるというようなことを言っていた。クレーの家の絵を見ていると、そういう不気味ささえ感じられてくる。
マルセル・プルーストは天才たちの作品を彼らの私生活の反映とみなすことを拒否した、ということをアンヌ・ケフェレックは最近リリースされたモーツァルトのピアノ協奏曲第20番と第27番のCDに掲載されたライナーノートに書いていたが、もっともだと思う。
芸術作品の内容を考えようとするときに、何でもかんでも芸術家の人生から逆算して推理しようとすることほど、危険なことはない。
この記事は約
NaN 分で読めます(
NaN 文字 / 画像
NaN
枚)