「176号」
小西昭生のアクエリアスの時代を「明るく軽やかに生きる法」
~神の手ほどき~
2024年3月14日号
第176号:「聖霊を究める」
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目次
【まえがき】このメルマガについて
1.聖霊の理解を深める
2.生命意識の再定義
3.神の熱望すること
4.まとめ
【あとがき】
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《今回のフォーカス》
読者の皆様、いつもご愛読いただきまして、ありがとうございます。
今回も、「創造主=神が、神我意識そのものを神我に説き直す内容」となっています。
聖霊とは、文字通り「聖まった霊(きよまったれい)」を意味しています。
霊が聖い(きよい)ということは、霊的意識が更に聖められて、この世のものとは思えない「高貴で神の大愛そのものに満ちた霊的意識状態」を意味するのです。
前回も触れたように、「聖霊」とは、「我は生命なり」と悟りきった(悟了した)神我キリスト意識の完全なる顕れです。
真理はこの世を創造する基本原理を指していて、その礎(いしずえ)は「生命力」にのみ由来しています。
最終的に鉱物だけでは、神の意図する「世界の発展」は、目に見える速さでは実現しません。
植物・動物・人間の成長速度が、生命力の典型的な表現力を示しています。
親から子へと遺伝子は受け継がれ、外側の形態は維持されていますが、その中で働いておられるのは、依然として同一の生命力です。
生命力が個別化した状態が、「神我意識」ですが、その神我キリスト意識が更に聖まって昇華した状態が「聖霊」と呼ばれるのです。
「神我キリスト意識」の完全なる顕れ、神我キリスト意識のいと高き極みが「聖霊」なのです。
それを知るプロセスを、ぜひ皆さんに深く理解していただき、「我は生命なり」と悟了していただきたいと、熱望しております。
早速、はじめましょう。
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