喜多川泰のLeader’s Village Vol.102号です。
人間の身体というのは本当に不思議で、ずっと続けることで「仕様」が変わるんですよね。
「ずっと続けているもの仕様」に身体が変わっていく。
例えば、村民の皆さんの中にはギターを弾く人がいるかもしれませんが、ギターを弾いたことがない初心者が弾くと弦を押さえるために強い力がいる。指先が柔らかいので弦が指先の方に食い込むからなんですが、そうやって弾いていると一時間もしないうちに指先が赤く腫れ上がり、炎症を起こして痛くなる。
でも、ずっと弾いていると指先が硬くなる。
つまり指先が「ギターを弾く仕様」に変わる。
そうなると、弱い力で、それこそ触れる程度の力で弦を押さえても綺麗な音を奏でることができるようになる。
僕はリバーカヤックをやりますが、両手の親指の付け根の部分に硬い突起のようなものができている。パドルが手とぶつかる部分です。
初心者は、一時間もするとこの部分にマメができて痛みでパドルが握れなくなるんですが、僕はそうなりません。僕の手はもはや「カヤック仕様」に変わっているわけです。
当たり前のことかもしれないけど、そうならない人はいないっていうのがすごいって僕は思う。
ある人は、ギター使用になるけどある人はいつまでたっても柔らかいままでギターを弾くのに向かないなんてことが起こらない。
我々はみんな全身ぷよぷよの柔らかい身体で生まれてくる。
ということは、別の言い方をすればその時点では何をするにも向いてない身体だって言える。
そこからそれぞれが自分が繰り返し行う活動に合わせて、どうにだって身体を変えていくことができるということだ。
ただし、その間には「痛み」がある。
その痛みを乗り越えてでも続けたいと思える何かでなければ、ギターであれ、カヤックであれ、身体がそれ仕様にたどり着くことはできない。
なりたい自分という理想像にたどり着くために、その痛みを乗り越える覚悟はどうしても必要だ。もちろんそれに「耐える」というメンタリティよりも、「痛みを楽しむ」という境地の方が人生が楽しくなるのは言うまでも無い。
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