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【痛くない死に方 2024年第10号】「基地」と「ワクチン」――沖縄講演会の裏側で起きていたこと

長尾和宏の「痛くない死に方」
  • 2024/03/09
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2024年 第10号 【長尾和宏の痛くない死に方】 長尾和宏です。 寒かったり暖かかったり、皆さん、体調を壊してはいないですか。 花粉症の季節でシンドイ想いをしている人もいると思いますが、一歩一歩、春の 足音が聞こえてくるのは、やっぱり幾つになっても嬉しいものです。 先週は沖縄に行ってきました。ビーチに続く畑には、もう向日葵が咲いていました。 太陽の方向を向いて一斉に咲く向日葵の花に、前向きな気持ちになれます。 太平洋戦争の傷跡に触れ、犠牲になった大勢の沖縄県民に手を合わせたあとで、 『政治とワクチン』『コロナと認知症』の出版公演記念を沖縄で一番大きな書店である 那覇のジュンク堂で無事に終えることができました。 お越しいただいた皆様、ほんとうにありがとうございます。 ジュンク堂那覇にお呼びいただいたのは、これが6回目である。 先日の講演会では、「これで4回目です」とお話ししたが、まてよ、もっと行っているよな?  と帰りの飛行機の中で振り返った。 1回目は、2018年5月。 このときは、『痛くない死に方』の講演会。まだこの本が、 映画の原作になる前のこと。初めての講演会だったが、たくさんの人が関心を寄せて会いに 来てくれた。沖縄や台湾の死生観などについてもお話しした気がする。 2回目は、2019年2月。 このときは、『糖尿病と膵臓がん』の講演会。玉城デニー氏 の前の知事であった翁長知事が膵臓がんで亡くなったのが確か、2018年8月のこと。 町は、「移転反対」の看板であふれ、あちこちからシュプレヒコールが聞こえた。 基地問題を沖縄の人ばかりに押し付けていたことを肌身で感じ、日本人としてとても申し訳 なく、これは他人事にはしておけない、と大きな関心を抱いた。 だが今思えば、あの頃の沖縄の民意の熱が、遠い昔のように感じてしまう。 閑話休題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 在沖縄米軍基地への反対・返還運動に市民が声を挙げ始めたのは1995年のこと。 きっかけは、この年の9月に沖縄に駐留していた米兵3名が、沖縄の小学生の女の子 を拉致し、集団強姦したからである。商店街で買い物をしていた12歳の子を拉致して、 粘着テープを顔に巻き手足を縛り、車に押し込んだ。その後、近くの海岸に連れて行か れて少女は3人の米兵から強姦され、負傷した。 沖縄県警は、米兵3人に逮捕状の発付を請求し、基地内でアメリカ側が拘束していると いう3人の身柄引き渡しを要求した。しかし、「日米地位協定」を盾に身柄引き渡しを 拒否されてしまう。 〇日米地位協定とは、公務外で犯罪を起こした米兵が基地内にいる場合、日本側が起訴する までは、アメリカ側がその身柄を持ち続ける権利がある、という協定で、新・日米安保 条約ができた1960年に制定された。まったく平等なものではなく、アメリカは日本より 優遇されるべき、ということをただひたすら羅列している不平等協定である。 この協定が問題視されたのは、1974年の「伊江島事件」。伊江島にある補助飛行場 において、草刈のために敷地に入った二十歳の沖縄の生年が、ふざけた米兵に車で追い 回され、銃で銃撃され負傷した。しかし日米地位協定によって、日本政府はこの裁判を アメリカで行うことを認めた。結果、加害者の米兵は降格処分と罰金刑で終わり、被害者

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  • 本邦初!100パーセント「死」のことについて語るメルマガ。2000人以上を看取った医師であり、日本尊厳死協会副理事として、日々「死」と向き合う医師と一緒に、死に方について考えませんか? 家族の死と向き合わなければならない人、大切な人が死んで、喪失感から抜け出せない人、今、どうしようもなく「死にたい」人も……あなたのこころに届くメッセージが満載です。
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