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第254号 復讐するは我にあり/初花/言うは易く行なうは難し

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  • 2024/03/13
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「復讐するは我にあり」 ロシアとウクライナの戦争は、今に始まったわけじゃなく、その根っこは30年以上も前の旧ソ連の崩壊にまでさかのぼる。イスラエルとパレスチナ(ガザ地区)の戦争も、今に始まったわけじゃなく、その根っこは100年以上も前にさかのぼる。そして、どちらの戦争も、これまで幾度となく繰り返されて来た。つまり、どちらの戦争にも、ひと言じゃ説明できない長くて重たい「憎しみの連鎖」が底流してるわけだ。 昨年10月に口火を切ったハマスの一斉攻撃も、イスラエル側は「ハマスが先に手を出した」と言うけど、ハマスにしてみれば、これまでさんざん市民を虐殺されて来たことへの復讐であり、悪いのは自分たちの土地に勝手に国を造ったイスラエルだという認識だ。そして、この100年以上にも及ぶ「憎しみの連鎖」が、どちらの国も自分たちの攻撃を「復讐」として正当化する基盤となってる。 そこであたしは、どんなに文明が発達しても世界から戦争がなくならないのは、古今東西、人間は「復讐」が好きだからだ、という仮説を立ててみた。あたしの大好きな『ギリシャ神話』は、数々の復讐劇によって成り立ってるし、これまたあたしの大好きなシェイクスピアにしても、四大悲劇の中の『ハムレット』と『マクベス』は絵に描いたような復讐劇だ。一般的に復讐劇とは見られてない『リア王』と『オセロ』にしても、復讐の要素が散りばめられてる。他にも『ジュリアス・シーザー』や『タイタス・アンドロニカス』なども復讐劇だ。 ルネサンス時代のヨーロッパ各国では、「悲劇」の中でも復讐の要素を含んだ戯曲を「復讐悲劇」と呼び、数多くの作品が上演されていた。こうした作品では善と悪とが明確に描き分けてあるため、「復讐=勧善懲悪」であり、復讐が果たされると観客は拍手を送った。そして、復讐を果たした主人公が悲しい末路を迎えると、今度は涙を流した。どんなに残酷な内容でもオペラや演劇による「復讐劇」は、大衆の娯楽だったのだ。 日本でも、奈良時代に成立した『古事記』や『日本書紀』には、史実なのか創作なのかは置いといて、文献上で日本最古の復讐劇「眉輪王(まよわのおおきみ)の変」についての顛末が記されてる。「眉輪王」は『日本書紀』での表記で、『古事記』だと同じ読みで「目弱王」と表記されてるけど、この「眉輪王」は、仁徳(にんとく)天皇の皇子の大草香皇子(おおくさかのみこ)と、履中(りちゅう)天皇の皇女の中蒂姫命(なかしひめのみこと)の間に生まれた男の子だ。 で、安康(あんこう)天皇3年(456年)のこと、当時の安康天皇が、この人妻である中蒂姫命に横恋慕しちゃう。当時の天皇は『ギリシャ神話』のゼウスみたいな絶対権力者だから、人妻だろうがヨソの国の姫だろうが美少年だろうがお構いなし。欲しいものはどんな手段を使っても手に入れる。それで、大草香皇子を殺して中蒂姫命を自分の妻、つまり皇后にしちゃう。当然、子どもの眉輪王も着いてくる。でも、眉輪王は幼かったから、安康天皇を自分の父だと思い込んで成長する。 そんなある日のこと、安康天皇が自分の本当の父を殺して、母を略奪して皇后にしたという事実を知ってしまう。当時7歳の眉輪王は怒りに燃え、寝ていた安康天皇の胸に剣を突き立てて殺してしまった。眉輪王としては、自分の父の仇を討っただけなんだけど、当時の状況的には「皇后の連れ子が皇位を狙って天皇を暗殺した」と見られちゃう。そして眉輪王は、安康天皇の配下の者たちに、『古事記』だと刺殺され、『日本書紀』だと焼き殺される。眉輪王は殺される前に「私は皇位を狙ったわけではない!父の仇を討っただけだ!」と釈明してる。つまり、完全なる復讐劇だったわけだ。 でも「復讐」の歴史は遥かに古い。昭和38年(1963年)から翌年にかけて、5人を殺害した「西口彰事件」を題材にした佐木隆三の直木賞受賞作『復讐するは我にあり』は、テレビドラマや映画にもなったので題名くらいは知ってる人も多いと思う。これは、犯人の西口彰が熱心なクリスチャンだったという事実から、『新約聖書』の中の文言をタイトルにしたものだ。『新約聖書』の「ローマ人への手紙」の中に、次の一節がある。 「愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』とあり。」 つまり「誰かからどれほど酷いことをされても、決して自分で復讐してはいけない。神様が『復讐は私がやるから』と言ってくださっている」という教えだ。今の世界を見渡しても、ロシアのプーチンにもイスラエルのネタニヤフにも天罰が下ってないので、これは小池百合子の公約「12のゼロ」と同じく「やるやる詐欺」っぽいけど、「憎しみの連鎖」を生み出さないための方便としては百点満点の教えと言える。 ‥‥そんなわけで、江戸時代の庶民の楽しみの1つ、歌舞伎や浄瑠璃を始めとしたお芝居の人気の演目と言えば、心中や刃傷沙汰などの男女の色恋モノと、やっぱり復讐劇が二大看板だった。日本の「復讐」と言えば、明治以降は「敵討ち(かたきうち)」という言葉が使われるようになったけど、江戸時代までは「仇討ち(あだうち)」と呼ばれてて、幕府も制度化してた。武士が自分の主君の仇を討ったり、娘が父の仇を討ったり、庶民はこういうストーリーが大好きだった。 恐ろしい怪談にしても、『番町皿屋敷』しかり『四谷怪談』しかり、理不尽に殺された女が幽霊になって復讐するという話だ。落語にも『花見の仇討』『宿屋の仇討』『高田馬場』など「仇討ち」を面白おかしく題材にした演目がいろいろあるし、中には可愛がってた黒猫が主人の仇討ちをするという『猫定(ねこさだ)』なんていう変わり種の噺もある。 池波正太郎の小説『仕掛人・藤枝梅安』を原作としたテレビドラマ『必殺仕掛人』や『必殺仕置人』のシリーズは、自分で復讐する力のない市井の人々が、自分の代わりに「暗殺のプロ」に金銭で復讐を依頼するというストーリーだ。小説でもドラマでも、相手がどれほどの悪党なのか、どれだけ酷いことをしたのかがタップリと前フリされてるから、最後に「暗殺のプロ」たちがトドメを刺した瞬間、あたしたちは胸がスカッとする。殺人なのに。 映画でも『マッドマックス』や『レオン』や『キル・ビル』や『ジョン・ウィック』を始め、復讐劇は山のようにある。最近だと、男2人にレイプされた上に崖から突き落とされた美女が、ボロボロになりながら男2人を追い詰めて殺すという壮絶な復讐劇、その名も『リベンジ』という映画もあった。さかのぼれば、あたしが生まれる前の西部劇も、その多くは復讐劇だし、それは邦画にも言える。こないだ『大怪獣ガメラ』の流れから軽く触れた『大魔神』だって、全体のストーリーは復讐劇だ。 ‥‥ってなわけで、チョチョンチョンチョンチョ~~~ン!(拍子木の音) 時は寛永7年(1630年)、第3代将軍徳川家光の時代、岡山藩主の池田忠雄(いけだ ただかつ)は、別に男色一直線てわけでもなかったけど、美少年には目がなくて、渡辺源太夫っていう17歳の美少年を囲ってた。これを俗に「寵童(ちょうどう)」って言うんだけど、ようするに、夜の相手をさせるために囲ってる少年というわけで、戦国時代から江戸時代の中期にかけては普通のことだった。

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