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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』第538号2024.3.12配信

クルマの心
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□     伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』          第538号 2024.3.6作成稿  ●情報が密になったのは1995年のWindows95発売以降だろうか?  核心に入ろうと思う。縦糸に、これまで私が生きてきた昭和・平 成・令和の72年の歴史から導き出せる事象を配し、緯糸に1970年に 自動車人となってから関わりを持ったクルマのエポックを重ねるこ とで立体的な構えとなることを心掛けたい。  何度も触れることになるが、私が『自動車人』の仲間入りをした のは運転免許取得可能な満18歳になった時。今から振り返っても何 も知らない”山猿”みたいな存在で、当然運転スキルも未熟であり 社会性についても常識が身についていたとも思われない。  サッカー選手を夢見たことは何度も書いている。免許取得の可能 性がほぼなかったティーンエージャーの頃、高校時分に流行り病の ようにかぶれた。1960年代後半、情報空間は貧弱で週遅れでTV放 映された英国プロサッカーリーグやメキシコ五輪の日本代表の活躍 (銅メダル獲得)をきっかけに、文字通り「狂った」。  マンUのジョージ・ベストや釜本(邦茂)/杉山(隆一)に小城 得達(ありたつ)、横山謙三……。TV、雑誌などの薄い情報源に 頼る時代だったからこその憧れと、無邪気にその気になれる感覚。 緻密な情報が瞬時に地球を駆けめぐり、その気になればいつどこで もアクセス出来る現代にはあり得ない感覚。考えてみれば夢のない 話だが、馬鹿がバカでいられた昔の方が良かったのかもしれない。  情報過多が日常化していて、余程の勘違いでないかぎり夢を見る ことがない。その意味では、現代の若者は大変だ。あの頃の世相? 明るくはなかったと思う。日本サッカーはまだアマチュアスポーツ の段階であり、欧州を中心とするプロスポーツの世界には程遠い。  今から振り返ると、本当に視野が狭かった。大学に合格したのは 生来の運の良さの賜物で、高校受験の再来感が強かった。自慢でも なんでもなくて気がついたらそうなっていたからだ。何しろ3学期 までグラウンドでボールを蹴っていた。職員会議で留年させるかど うか何度も議題に上がる劣等生である。受かった本人が誰よりも驚 いたが、何よりも職員室で一時大きな話題になったと聞いている。  進んだのは専修大学法律学科。本校舎は古本の街で知られる神田 神保町にあった。古ぼけた旧校舎の時代であり、新聞/TVを賑わ せた『70年安保』の闘争終結は建物内の空気を一層重くしていた。 三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自決したのは11月のこと。 第二外国語のフランス語老教員が「三島が死んだね」と吐いた一言 が耳に残っている。 ●私の最初のクルマは日産サニー1200クーペGX(昭和45年)です!

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  • 価値観が大きく変化しようとしている今、なすべきことは何か? このまぐまぐ!のメルマガ『クルマの心(しん)』を始めて多くのことに気づかされました。ずっとフリーランスでやって来て40年、還暦を迎えたこの段階でまだまだ学ぶことが多いですね。どうしたら自動車の明るい未来を築けるのだろうか? 悩みは尽きません。新たなCar Critic:自動車評論家のスタイルを模索しようと思っています。よろしくお付き合い下さい。
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