「オスカーにアジア系差別はあるのか?」
3月10日に行われたアカデミー賞(オスカー)の授賞式でアジア系が差別されたのではないか、というストーリーが話題になっています。アメリカでも多少この話は出ていますが、特に東アジア圏、具体的には日本、韓国、中国ではかなり問題になっているようです。
具体的には、主演女優賞を受賞したエマ・ストーンと助演男優賞のロバート・ダウニィーJRが受賞した際の光景が不自然だったということです。いずれも、ちょっと妙なセッティングになっていたことがまずあり、個人の俳優への賞については歴代の受賞者5名が並んで受賞を発表するという演出がされていたことで起きたとも言えます。
まず、エマ・ストーンの場合はトロフィーを持っていたミシェル・ヨーを、無視したように見えたのですが、これは実はヨーが、ジェニファー・ローレンスと一緒、もしくはローレンスからトロフィー(オスカー像)を渡すようにした混乱の中で起きたようです。ですから、何度も動画を見返したのですが、無意識の行動も含めて差別や悪意は全くなかったように見えます。
反対に、ロバート・ダウニィーJRの場合は、かなり露骨で、明らかに前年の受賞者のキー・ホイ・クワンを無視していました。但し、彼の場合も、受賞スピーチの全体が恨み節のようなグチャグチャで品格に欠ける中では、社会的差別というより本人の性格から来る特殊事例としても良いのではと思います。
それはともかく、今回のオスカーでの「事件」に際して、「自分も職場で無視された」とか「国際結婚で来たが、いつも、アメリカの白人の親戚たちから無視されている」とか「レストランで良い席に案内してもらえなかった」などといった経験をもとに、アジア系への差別があるという声が上がっています。
一つ言っておきたいのは、コロナ禍の中で散々な経験した「都市部におけるアジア系への衝動的な暴力」というのは、これは別の問題だということです。これは、社会に差別的な構造があるというのではなく、ニュースなどを見る機会のない層、もしかしたら日本では「境界うんぬん」と言われるような層が、本当に衝動的に起こしてしまった問題で、差別というのとは違うと思います。
では、親戚や職場でスムーズでない経験をさせられる件について、どう考え方たら良いのでしょうか。これは、要するに「自分たちとは言葉や文化の異なる(と感じられる)相手には戸惑う」という世界中で起きてい現象と同じだと思います。
これは、日本でも普通に横行していることです。例えば、日本では外見が外国人だと、とにかく英語で話しかけて、日本語ができても英語で話し続けるとか、警官が一方的に職務質問をするとか、と言った行動があります。それこそ、親戚づきあいについては、国際結婚したアメリカ人の配偶者が一緒に日本の実家に里帰りしたら、一族郎党から無視されたという話は色々あるわけです。
勿論、そうした家族内とか職場の問題と、オスカーという国際的な賞の授賞式という公的な空間とは違うのは事実です。
ただ、それを言うのであれば、受賞が決定的なのに「アメリカが嫌い(らしい)」ので授賞式には行かないで、しかもその理由を説明しない宮崎駿氏なども、妙といえば妙だと思います。
また、『オッペンハイマー』の場合は、炎上が怖くて大手が配給を見送り、結局は良心的な文芸映画の配給会社が公開するが、それも受賞後に受賞効果を計算しての公開というような、不自然な二転三転もありました。『バービー』に至っては、軽薄な映画と思われ、グレタ・ガーウィグ監督が監督賞のノミネートから外された問題なども日本には伝わっていません。
それはともかく、今回の人種差別騒動というのは、ただでさえ日本では薄くなっているハリウッド文化との愛憎を伴う関係性を、更に薄くしてしまいそうで、複雑な思いがします。
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