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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第539号 2024.3.19配信分
●「10リットルぽっちじゃ仕事にならん!!」
エポックメイキング(画期的を成すと訳される)な瞬間は、私の
これまでの70余年に何度か訪れている。最大の出来事は第一次石油
危機だろう。1973年10月6日エジプト/シリア”連合軍”が突如と
して軍事侵攻の挙に出ている。スエズ運河東岸とゴラン高原におい
てイスラエル軍と武力衝突。第四次中東戦争が勃発した。
ユダヤ人による人口国家イスラエルは、先住のパレスチナ人を押
し退けたという。周囲にアラブのイスラム国家が密集する中で異彩
を放っているが、その経緯を私は知らない。中東問題に詳しくなく、
19世紀末から20世紀にかけての歴史にも明るくはないが『オイルシ
ョック』は身近な問題として記憶されている。
当時は自動車人として3年が経ち、21歳の成人として世間を齧る
ようになっていた。たしか、全号で明らかにした生沢徹に感化され
る形でレース挑戦を決めていたのは前年の1972年頃。今からみれば
遙か彼方の半世紀前だが、いろんな意味で絶妙なタイミングだった
と思う。
ガソリンスタンド(今は無き三菱石油中野島給油所)は石油製品
を扱う一丁目一番地ではないだろうか。当時は他のどの職業よりも
最先端の前線に居た。少なくとも私はそう思っている。記憶を辿る
とレギュラーガソリンが1リットル50円台だったのではなかったか。
多摩川沿いの計量器が3つ(レギュラー、ハイオク、軽油)しかな
い小さなガソリンスタンドで、一日の水揚げが全油種を合わせても
1キロリットル(1000リットル)もなかった。
店主(オヤジさん)、ショージさん、ワタナベさん(事務のオバ
さん)、私ともう一人のバイトがそれなりに給料が貰える規模で、
それでも十分経営が成り立っていた(と思う)。為替環境はドッヂ
ラインが定めた1ドル/360円の固定相場時代であり、安い労賃と
円安の合わせ技でウハウハものの輸出貿易黒字を積み上げていた。
今ほどモノが溢れる状況ではなかったし、豊かといえばきっぱりと
ノーと言える。ガソリン価格に象徴されるように、現在に比べると
物価は相対的に低く抑えられていた。
石油危機をガソリンスタンド(GS)という資源エネルギー問題
の最前線で経験した。因果な話だが、私にとって小さくない財産に
なっている。クルマにとって不可欠なエネルギーについて石油資源
の最前線で考え、今になって振り返るネタに不自由しないからだ。
確かに石油元売りからの燃料(ガソリン/軽油)供給は絞られた。
常連客に「10リットルしか売れません」と深く腰を折って平謝りに
告げると「なに?10リットルぽっちじゃ仕事にならんだろう!!」
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