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「ルネサンス・初期近代におけるガレノス論争」(後編)

BHのココロ
  • 2024/04/02
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前回にひきつづき、今回は『オックスフォード版ガレノス必携』に寄稿した「ルネサンス・初期近代におけるガレノス論争」の邦訳の後編をお送りします。 3. 精気と霊魂  ガレノスの『ヒポクラテスとプラトンの学説について』は、彼の生理学にとって根幹的な著作であり、神経系をめぐる観察と発見にもとづいていた。最初のラテン語訳は、グィンテリウスがつくり、パリの印刷業者コリーヌによって1543年に出版されている。フェルネルは人文主義の新翻訳をもちいて、この長尺のテクストに新しい光を当てていた。 とくに霊魂の実体をめぐり、ガレノスによる医学的な精気についての議論に関心をよせている。そして『ヒポクラテスとプラトンの学説について』の第7巻に見出せるような精気と霊魂の関係に焦点をあわせた。この大部な書物からカギとなる部位を抽出しつつ、フェルネルは霊魂が完璧に単性であり、精気よりも優れているというガレノスの見解の再構成を提出している。とくに16世紀後半の哲学的な医学者たちが関心をよせたガレノスの議論から引用された最初のものをみてみよう:  「霊魂の実体について話さなければならないなら、ふたつの選択肢のどちらかを選ぶことになる。[まず]霊魂はまるで光り輝くアイテールのような物体だという見解であり、自らの教えの論理的な帰結として、好まずながらアリストテレスとストア派がたどりついたものだ。[つぎに]霊魂それ自体は非物体的な実体であり、[それにたいして上記のアイテールのような]物体はその第一の運搬者であり、この[物体の]媒介によってほかの諸物体と結びつくという見解となる。」  この眼を見張る一節につづいて、つぎの引用によれば、霊魂は非物体的な存在として脳にやどる一方で、精気は霊魂の第一の道具であり、霊魂の諸機能のために存在するという可能性を提起する。そして三番目の引用は、生命精気を血管に、動物精気を脳におく。最後に四番目の引用は、動物精気が逃げてしまうことで生物は死んだも同然となり、精気が回復すると生物は賦活されることになる。 ガレノス自身の言い回しを尊重しつつも、フェルネルはこれらの引用を自身の主張にあうように順番を変えて提案している。そうすることで、彼は霊魂の非物体性を担保し、究極的にはその不滅性を擁護するのだ。この点は、第五回のラテラノ公会議(1512-1517)以降のヨーロッパにおける哲学的な重要問題となっていた。  フェルネルのあとでは、シェキウスもまたガレノスからの最初の引用に依拠しつつ、形成力の「霊的な運搬者」(vehiculum spirituale)についての考えを展開している。なるほど、それは古代末期のプラトン主義で謳われた霊魂の「運搬者としての精気」という哲学的な理論に近いものとなっている。シェキウスの狙いは、アリストテレス流の視点から生まれたこの理論の特異な解釈を展開するためだった。  もうひとつべつの問題もある。どのようにして霊魂のような単性で不滅の実体が可滅的な物体にやどることができるのか。ガレノスの著作『自然の力能の実体について』をひきつつ、フェルネルはこの問題に応えている。このテクストは中世とルネサンス期には、断片としてしか知られていなかった。 ごく近年になって、それは三世紀初頭に書かれたガレノスの哲学的な遺書『私の学説について』の結論部だと同定されたのだ。この短尺のテクストから、フェルネルは「霊魂の挿入」(empsychosis)と「霊魂の転成」(metempsychosis)という注目すべき用語を使用している重要な一節を抜きだす:

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