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第304号:「ぼくらはどこから来たのだろう」

田中優の‘持続する志’(有料・活動支援版)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 『 田中優の未来レポート 』 第304号/2024.3.30 http://www.mag2.com/m/0001363131.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「ぼくらはどこから来たのだろう」 ぼくら日本人はどこから来たのだろう。そしてどんな特徴があり、どんな人間たちなのだろうか。 …それを全く予想外に変更してしまったのは、「三内丸山遺跡」を初めて知ったときからだ。それまで「原始の時代」といえば、猛々しく暴力的で、侵略と収奪の時代だと思っていた。ところが「三内丸山遺跡」が少しずつ知られるにつれて、その歴史観は改められていった。ぼくは驚くと共に、ご先祖に対しても誇らしい気持ちになった。 縄文の時代は平和な社会を実現し、なんと狩猟採集生活をしながら、安定的な定住生活を営んでいたのだ。その後も一部の人によって国にまとめられたり、人によって支配されたりするまでは、地域ごとに異なった文化を持ち、「地域主義」とでも呼ぶべき自立性の高い暮らしをしていたのだ。それは自分の血の流れの中に持つと考えたときに誇らしいものだと思った。 青森の「三内丸山遺跡」の発掘作業は「平成4年(1992年)」から始まった発掘ばかりで、すごく最近見つかったばかりの話なのだ。驚くのは紀元前約3,900~2,200年の集落跡だというのに大規模な集落跡で、人々が定住生活していたらしいことがわかったことだ。 人々はすでに今につながる暮らしをしていて、何か原始的な狩猟採集生活していたわけじゃなくて、巨大な見張り台を建て、たくさんの竪穴建物などを持ち、定住していなければ作れない多量の土器や石器、木製品、骨角製品などを作って暮らしていた。それはかつてイメージされていた貧しくて絶えず飢えと闘いながら生きていたとは思えず、むしろその跡地から垣間見える暮らしぶりは、豊かに文化的に、子どもたちと共に計画的な暮らしをしていたようなのだ。その遺跡は争いごとや戦争の跡ではなく、平和に暮らしていたことのわかる遺跡だった。人々は絶えず「奪い、奪われる」の関係で争っていたわけではなく、平和で長く一万年も続くような暮らしをしていたのだ。それによって「縄文期」という原始時代のイメージを一新し、人々と自然とが共生するイメージに変わった。 それに対し、僕らのイメージする猛々しく獰猛で、収奪するイメージの一体どこから来るのだろう。「原始人=未開の人」というイメージはいったいどこから来るのだろう。実際に今の社会を見ても、自律的に生きようとする人は多くはなく、法がなければ何でもしてしまうような人ばかりに思える。特にカネのためなら何でもするような人もいる。だから余計に縄文の社会が輝いて見えるのだ。 大規模な縄文時代の遺跡の発見で、過去の人々のイメージは一新され、平和で母性的な暮らしが長く縄文時代に続いてきたことを知った。過去の原始時代の歴史というと、どうしても猛々しい男たちの歴史をイメージしがちだが、実際には半数を占める女性たちのおかげで、歴史はもっと穏やかなものだったようだ。 それに加えて新たな技術の発展で、大きく考えを変えなければならないことも分かった。それは遺伝子解析の技術の発展で、かつて考えていたように「縄文人→弥生人」が日本人のオリジナルというような、「二重構造説」が誤りであることがわかってきたのだ。 いや別なことも考えられる。実際に男たちの荒々しい武勇が大きく、猛々しい歴史の中にいたのだが、一部の人たちの起こすことだったので、歴史に残されなかったのかもしれない。すごく大雑把な言い方をするなら、歴史はものに書かれたりして表面的なことが多いから、男が支配する「上意下達的な時代」になってから始まるのかもしれない。 そうでない書かれる必要のない平和な時代のことは書き残されないのかもしれない。特に女性には「子どもを育てる」というとても重要な「事実行為」があるのだから、そのときにぼくらの歴史という過去は時に大きな勇気につながる。ぼくらの勇気には咄嗟の時の勇気もあるのだが、それ以上に豊かで持続的な勇気もある。私たちの歴史が繰り返し知り超えてきたような持続する勇気だ。そのときに連綿と続く命の連鎖の輝きだ。 その連鎖にはきっとどんな時にも生き延びてきた歴史の裏打ちがある。そう考えると私たちへと続いている生命の連鎖が支えになってくれる気がする。それは生命を守り育ててきた女性の歴史に励まされる気がする。 ごく最近になって、わずかな断片からDNAを読み解く技術が発展した。それによって明らかにされたのが、「縄文」と「弥生」以外の第三の遺伝子のつながりだった。それは従来通りの歴史に沿って言うと「古墳時代」に流入した第三の遺伝子だった。「縄文時代」とそれに続く「弥生時代」の遺伝子の「二重構造」だけでなく、「古墳時代」に流入した「第三の遺伝子」が今の私たちに強く影響しているようだ。このことは遺伝子解析以前は言われていなかったことだ。

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  • 環境活動家、田中優(たなかゆう)の有料・活動支援版メルマガです。地域での脱原発やリサイクルの運動を出発点に、環境、経済、平和などのさまざまなNGO活動に関わり、日本で初めてのNPOバンクを作りました。経験と知識と綿密なデータを基に、独自の視点で生み出した社会の新しい仕組みづくりのヒントや国内外を取材したお話をご紹介します。頂いた購読料の一部を、次の社会を作るための活動資金にさせて頂きます。 ★まぐまぐ大賞2017 専門情報部門にて【第1位】 ★まぐまぐ大賞2018 専門情報部門にて【第2位】 ★まぐまぐ大賞2019 専門情報部門にて【第3位】 を頂きました!
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