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渡辺勝幸の日本一元気になるメールマガジン
第4949号 令和6年4月2日(火)発行
発行部数 9,552 部
【再録】日中平和友好条約の締結
ー福田赳夫その26ー私の履歴書 保守政権の担い手
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【再録】日中平和友好条約の締結
ー福田赳夫その26ー私の履歴書 保守政権の担い手
昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、
それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、
日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。
保守政権の担い手であった昭和時代の政治家を中心に分析。
歴史から未来をつくっていきたいと思います。
『保守政権の担い手─私の履歴書』
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福田は1976(昭和51)年12月24日、
総理大臣の地位に就きます。71歳でした。
12月30日には「議論より実行」と、
率先垂範で派閥事務所を閉鎖しました。
77年3月までに他の派閥も一応解散します。
ただ他派は看板をかえるなどして完全な事務所閉鎖はしませんでした。
特に大平派の一部には派閥効用論を言い出す動きもありました。
結局、三木の進言による総裁予備選をやらねばならぬという雰囲気が強くなり、
後に実施した予備選では所期の目的とは逆に全国への派閥の拡散につながり、
政治刷新ができなかったのでした。
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