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渡辺勝幸の日本一元気になるメールマガジン
第4956号 令和6年4月9日(火)発行
発行部数 9,549 部
【再録】福田ドクトリン、アジアとともに
ー福田赳夫その27ー私の履歴書 保守政権の担い手
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【再録】福田ドクトリン、アジアとともに
ー福田赳夫その27ー私の履歴書 保守政権の担い手
昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、
それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、
日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。
保守政権の担い手であった昭和時代の政治家を中心に分析。
歴史から未来をつくっていきたいと思います。
『保守政権の担い手─私の履歴書』
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福田は1978(昭和53)年8月、
日中平和友好条約を締結します。
さらに福田は日本外交の基本原則として
「全方位平和外交」という言葉を総理大臣に就任して初めて使いました。
全方位平和外交の基礎になるのはもちろん緊密な日米関係であって、
その日米関係を基軸として、
他の地域にも積極的に平和を働きかけていこうとするものでした。
その中で重視したのがアジア、特にASEAN(東南アジア諸国連合)と
わが国との関係を新しい次元の下に構築することでした。
福田の対アジア外交の根幹は、わが国がアジアの一員であり、
この地域における平和と安定の確保は世界の平和と安定に不可分のものであり、
また、わが国自体の繁栄にとっても欠くことのできないものと
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