喜多川泰の Leader’s Village Vol.108号です。
今はもちろん円安の影響もあるでしょうが、それがなくとも世界の人たちが海外旅行で訪れたい国ランキングでは日本はいつも上位に位置しています。
どうして世界の人たちはわざわざ大変な思いをしてこの極東の島国を訪れたいと思っているのか。
いくつか理由はあるでしょうが、よく言われるのは
街が美しい(ゴミが落ちていないし臭いがしない)。
治安がいい(小学生が一人で電車に乗って学校に通っているし、夜女性が独り歩きできる)。
一人一人のモラルが高い(ルールではないのにエスカレーターでは片側を開けて乗る)
など「日本人らしさ」を見たい、感じたいというものです。
実際にこれらは世界中どこに行ってもなかなか体験できない、日本でしか見ることができないことだと思います。
その、世界が愛してやまない、世界中どこも創りだすことができない「日本らしさ」「日本人らしさ」はどうやって作られたかというと、日本の教育によって作られているわけですから、僕は日本の先生たちや教育者たちに対してもっとリスペクトした方がいいと思うし、先生たちはもっと自分たちのやってきたことに自信を持っていいと思うんですが、実は先生方の方が、自分たちの教育に対して自信がない。
「日本の教育はダメだ」
「我々の教育がダメな日本を作った」
と自己否定をしてしまっているような気がするんですよね。
先生たちがそういう雰囲気を持って指導をしているなら、教わる子どもたちが、
「日本はダメだ」
「僕たちは自己重要感を持てない」
と、自分の自信を持てなくなるのも当然のような気がします。
世界が認める「日本人の美しさ」というのは、
「個人の自由」よりも「誰かの迷惑になりはしないか」という感覚を優先することから生まれています。そしてそれは日本という国ができてからずっと育まれてきた価値観で、それがあるから他の国では考えられないほどの過ごしやすさが生まれるのですが、その教育は一方で、「出る杭は打たれる」「同調圧力に屈する」「『みんな』という言葉に弱い」「他者からどう思われるかを気にしすぎる」など負の側面も生み出している…と思われている。
でも、本当にそう?
つまり、そこに因果関係はあるの?
僕は「誰かの迷惑になりはしないか」を考えられる人を育てながらも、自分の好きなことを「みんながどう思うか」ということを気にすることなく突き抜けられる人は育てられると思ってる。
つまり、一般的に言われているほど、そこに因果関係はないんじゃないかと思っている。
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