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伝授!潜在意識浄化法 第1078回(24年4月25日)
~ 養生その六 ~
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こんにちは、MKCの齋藤です。
https://hypnos.jp/
●空腹感と孤独感
前回のレッスンで、ちょっとわかりにくいところがあったとご質問をいただきました。
> 「空腹感についての耐性が、孤独感についての耐性に似ている」
> という箇所です。
確かに、わかりやすい例示ではありませんでしたね。というより、そもそも必要でもなかったかもしれない。
……と言いつつ、補足説明しますね。
空腹感の耐性には、個人差があります。
お腹がすいたときに一分も一秒も耐えられない、とばかりに今すぐ何かを食べることしか考えられなくなる人もいれば、仕事か何かに集中していると空腹を忘れたり、忘れはしなくても「この仕事が一段落するまで食事は後回し」みたいなことを平気でできる人もいる。
そもそも空腹感は本来、外から栄養を摂取しないと生きられない我々が健康で生きられるように、栄養不足を防ぐための感覚です。
だから、生きるために必要な感覚ではあるのですが、しかし「外敵への警戒」と同様、現代に生きる私たちにとって、さほど強めなくても無事に生きていける感覚になりました。
栄養状態に恵まれている現代人は、食事が数時間遅れたくらいで、あるいはたまに一食抜けたくらいで、健康上まったく支障はありません。
日々の食生活がすごく乱れていたり、栄養状態に余裕がない高齢者や病人の場合はともかく、ある程度健康な人であれば、なんともないですよね。
ということは、現代人にとって空腹感は適切なレベルのシグナルとはいえず、過剰に働いて私たちを脅かしている不快感といえるわけです。
孤独感も、似たところがあります。太古の昔、私たちは仲間と集団生活を営むことにより、外敵から身を守ったり食べ物を確保したりしていました。
だから、ポツンと一人で置かれたり行動したりするのは、たいへん危険な、即座に命にかかわる出来事だったのです。
その記憶が遺伝子に書き込まれているから、状況が変化した今でも、孤立することに本能的な恐怖を覚えることがあり得ます。そこまで強い恐怖を感じて改善しなければならない状況でもないのに、過剰な反応が湧き上がるのです。
田舎のほうで村八分の習慣が今も残っているところがあって、孤立するとゴミを捨てるにも苦労する、といった実情もあるにはありますが、そういうのは現実的な不便であって、孤独「感」とは違うんですよね。
もともとは生き残ろうとする防衛本能の現れではありますが、「一人で食事をする」と急に希死念慮(死にたい気持ち)に襲われるとしたら、明らかに過剰な防衛本能でしょう。
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