喜多川泰のLeader’s Village Vol.109号です。
子どもの頃、学校が終わって友だちの家に遊びに行くと、あまりにも夢中になって遊びすぎて夕食どきになっているということがよくありました。
そうすると、
「一緒にご飯食べて行きなよ」
と声をかけてもらえることも稀にあって、何度か友人宅で夕食をいただいたことも。
人の家の食事ってなんだかワクワクするんですよね。
家に電話して状況を説明して、僕の母と友人のお母さんが電話で話している様子を横で眺める。
今となってはいい思い出です。
ある友人宅で夕食をご馳走になったときのこと。
お父さん、お母さん、友人の兄弟二人が既に食卓に座って僕たちを待っていた。
僕は指定された場所に座り「いただきます」の合図を待っていたら、
「隣の人と手を繋いで」
と友人の父親に促されて、僕は友人と彼のお母さんと手を繋いだ。
そうすると、祈りの言葉が始まった。
「天にまします我らの父よ…」
僕は初めての経験でどうしていいかわからずとりあえず顔を伏せて目だけでみんなの様子をうかがっていたけど、誰も特に驚いた様子もないということに驚いた。
具体的な言葉は忘れてしまったけど、
「今日も神のおかげでこうやって食事ができることに感謝します」
といった内容のことを話していたのは覚えている。
やがて、
「アーメン」
というと食事が始まったが、僕は小さく「いただきます」と言って食べ始めた。
食事ができるのは当たり前ではない。
だから「ありがたい」と感謝する。
その感謝の対象が、その家庭では「神」だった。「神のおかげで食事ができる」と教わっている家があることにカルチャーショックを受けた。
一方我が家では、特に感謝の対象を意識するよう育てられてはいなかった。
もちろん「いただきます」という言葉は発するが、それは宣言のようなもので、そこに「私はこれからご飯をいただきますよ」という意味以上の何かがあったわけではない。
もちろん、食事ができることはありがたいことだという教育はそれなりに受けてはいた。
僕の両親は戦前生まれで「ひもじい思い」をして育ったし、共働きの両親に代わっていつも祖母が食事を作ってくれたが、大正生まれの祖母の方が遥かに「ひもじい思い」を味わってきている。戦争の頃の話もよく聞いていた。でも彼らは「食事がありがたい」ということを僕に教えること以上に、自分たちが経験した苦しみを、自分の子どもにはさせずに済んでいるということを喜んでいたんだと思う。よく耳にしたのは「食べられることに感謝しなさい」ではなく、「とにかく子どもたちにひもじい思いだけはさせたくない」という言葉だった。
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