林田直樹の「よく聴く、よく観る、よく読む」2024年4月30日 Vol.438より
【音楽随想】
●フランスで生まれた、能オペラ「隅田川」の日本初演
3月16日、洗足学園音楽大学で、パリ在住の作曲家・吉田進の作曲・台本による能オペラ「隅田川」(フランス政府委嘱作品・日本初演)を観た。
吉田さんは1972年に渡仏してパリ音楽院でメシアンに師事し、1981年にはパリ・オペラ座から「袈裟と盛遠」を委嘱されるなど、フランスを本拠に半世紀にもわたりヨーロッパで日本語の音楽作品を発表してきた。知る人ぞ知る存在である。
前半では、ビデオ収録された吉田さんのレクチャーが、現地での上演の模様を交えて紹介された。日本語の歌詞を音楽化することにこだわり続けてきた吉田さんが2006年に発表した能オペラ「隅田川」を、欧米人が日本語で歌っているのを観た。
とりわけ印象的だったのは、アルゼンチン人の男性歌手の歌う日本語だった。それは柔らかく美しく、日本人の話す日本語よりもずっと綺麗に感じられた。
プロのオペラ歌手の耳と声の技術は相当なもので、たとえ話せなかったとしても適切な訓練と指導さえあれば、異国の言葉でもここまで見事にモノにできるのかと思った。
日本人のオペラ歌手もイタリア語やドイツ語で立派に歌っているのだから、考えてみれば当たり前のことだ。
「隅田川」はさらわれた幼い息子・梅若丸を探してはるばる京都から隅田川にたどり着いた狂女(心乱れた母)が、渡守から我が子の死を知らされるという悲劇である。
ここが梅若丸の埋められた墓所だと知った母は、心張り裂けるような思いでこう言う。
「生所を去って東の果ての 路の傍の土となりて
春の草のみ生ひ茂りたる この下にこそあるらめや」(観世元雅の原作より)
死んだ息子の墓の上には、春の草が残るばかりとなっている。泣き崩れた母の目に映ったその情景には、しかし一縷の希望の光のようなものがあり、詩情がある――。
この箇所を特に指摘した吉田さんはこう付け加えた。
「心にポエジーを持っている人は決して絶望しない」
確かにそうかもしれない。
どんなに苦しくても、詩的瞬間というものがあれば、それによって人は慰められる。
後半はコンサート形式による能オペラ「隅田川」の上演。
狂女(蔵野蘭子)、渡守(大塚博章)が熱心に歌い演じ、高い技能を持つ4人の打楽器奏者が背後に控える様式は、能そのものであった。
実際の歌を聴いて印象的だったのは、ひとつの音のなかで声の抑揚や震えや揺れを、作曲家の指示通りなのだろう、意図的に精妙に変化させていたことだ。そのおかげで、オペラ歌手にしばしばみられる常套的に歌い上げる過剰なヴィブラートが消されていたのは良かった。
打楽器奏者たちも、響きを徹底的にコントロールしていた。
たとえば、一度打ち鳴らした音の残響をパッとすぐに手のひらで押さえて止める。その動作を繰り返すことにより、“和の間合い”とでもいうような独特の緊迫感が生み出される。邦楽器の太鼓独特の持ち味が、パーカッションに転用される面白さがあった。
最後には二人の重唱と打楽器奏者全員の歌によって、能の謡いのように「南無阿弥陀仏」という言葉が何度も繰り返される。この念仏のメロディには不思議な癒しの力があり、オペラの終幕の合唱のような昂揚感さえ感じられた(吉田さんによれば、真言宗智山派の唱え方だそうだ)。
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